2025年が始まった。1年前に何を考えていただろうかと2024年のコラムを読んでみた。そこで気づいたのだが、AIというものに対して危機感を抱いていたようだ。
自分の信念に従って行動する「高い志を持つ、市場価値の高い技術者」を育成します。
コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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コラム
規模拡大から価値拡大へ
今年挑戦したい生きるために大切なこと
最初に言い出したのが誰かは知らないけれど、「高齢者にとって大切なことは、キョウイク(今日、行くところがある)とキョウヨウ(今日、用事がある)」を多くの人から聞かされた。なるほど、と感心して聞いていた。
新たに始めたこと再開したこと
この数年、できないことや止めざるを得ないことが増えてきている。それに対して、新しいことを始めればプラマイゼロになる、と気づいたのは3年位前だった。何より、新しいことはゼロからの出発なので、どんなに小さな成果であっても感動の大きさはそれ以上である。
世の中からニオイが消えていく
大手製造業の管理職をしている人から聞いた話で驚いた。その人は、物質の組成、すなわち化合物の構成成分とその量の割合、から臭いを数値化する技術について調査しているとのことである。その人の会社は製造業ではあっても薬品や化学物質を製造してはいない。
挑戦すれば半分成功したようなもの
年齢を重ねるにつれて、何かをするのに「やらない方がよい理由」をつい見つけようとしてしまう。例えば、ウォーキングであっても、暑いから、寒いから、風が強いから、雨が降りそうだから、等々、いくらでもある。最近は、「ときめかないから」などという理由を作って逃げ出すことまで加わった。
多言語と多様性が創造力を高める
先週のコラムでも書いたが、今年(2024年)の11月にサンフランシスコとシリコンバレーの企業や自治体を訪問し、先端的な技術の開発と適用について情報収集してきた。
私の目と指が教えてくれた次の技術
11月の下旬、サンフランシスコとシリコンバレーの企業や組織を訪ね、先端ITの動向を調査してきた。帰国前日のことである。次の訪問先とのミーティングの前に、一緒に行ったグループ全員が昼食を取っていた。
壊した後どうするのかが問われる
NHKの朝ドラを毎日観るようになったのは、フルタイムの仕事を辞してからである。5年以上経つので、ドラマの数は10を超えている。次第に、ドラマに対する自分の好みの傾向が見えてきた。
遊びとビジネスの差はどこにある
長年生きていると、自分の性格についての認識が固まってくる。例えば、私は飽きっぽく、一つのことを集中して行うことが苦手である。若い時から、長時間実験したり、突き詰めてものを考えたりすることが得意ではなかった。
万人の理解と納得を得るのは難しい
政治関係のニュースを見ていていつも疑問に思うことがある。何かしらの疑惑が持たれている人に「説明責任を果たすことを求める」とはどういう意味だろうか。単に、状況を説明すればよいわけではないだろう。最終的には、相手が説明内容を理解し、納得することだろう。
今ってこうなっているのか
毎朝飲むコーヒーは、中挽き・中煎りのレギュラーコーヒーと決めている。味、香り、産地などに特にこだわりはない。安いものを近くのスーパーで買っているだけである。切らしかけていたので買いに行ったら売り切れだった。
占いとAIと創造性
易の勉強をしている人から占いの話を聞いたとき、あることを思い出した。それは、かつて文化人類学や民俗学の本を読んでいてなるほどと思ったことである。太古の昔から多くの地域で重要な意思決定に様々な占いが行われていた理由の一つに、思考のランダム化があったということである。
これまでの60年間とこれから
今年は新幹線が開通して60年とのことで、60という数字が何となく目に付くようになった。2か月前に76歳になった私の目線で60年間を考える機会も増えてきた。当時16歳の高校生だった私に、60年はどのような変化をもたらしただろうか。
説明できないことは教えられない
世の中には学校で習った程度の知識では理解できないことが多すぎる。例えば家電品は突然おかしな動きをして使えなくなる。我が家にあるものは、殆ど数年前に娘から譲り受けた中古品で2010年前後に生産されたものなので、原因を究明するまでもなく諦めるのが正しいやり方だ。
ジジババ上等じゃないか
土曜日の朝に楽しみにしている旅番組がある。最近、27年以上MCを務めていた俳優のKが番組を降りた。この1、2年のうちにみるみる痩せて髪は白くなり、直視できないほどの変貌ぶりだった。
私が仕事で筋を通してきたもの
学校を卒業し仕事をするようになって50余年経つ。一貫して情報技術(IT)関連の仕事に携わってきた。でも、仕事というものは自分で選ぶことは少なく、大半は与えられたものをこなすことが多い。
秋の訪れは考える力を蘇らせる
私はずっと冬に弱かった。寒さの中では頭が全く働かず、冬眠したいといつも思っていた。それに引き換え、8月生まれということもあり、夏には強いと思っていた。しかし、後期高齢者の現在は全く違う。暑さにめっきり弱くなった。
正座はできても全快とはならないのか
後期高齢者の現在、若い時とは大きく違うと感じるのは「病が治っても元には戻らない」ということである。若い時(65歳未満)は、病気やケガをしても、これが治れば元の生活に戻れる、ひょっとしたら以前よりも健康になるかもしれない、という期待をすることができた。
復活の日に思う
特別とも言えないある日の訪れをこれほど心待ちにしたことがあっただろうか。どれほどかというと、その日の未明に眠い目をこすりながらパソコンを立ち上げ、思わず万歳を叫んだ位である。それは今年の9月1日、私のギガ復活の日であった。
総合的な判断をする難しさ
日経新聞を電子版で読むのが毎日の習慣になっている。週末や月曜日にはレポート的な記事が多く見られる。科学技術に関する解説記事が多く、興味深く読んでいる。他にも、これまで報道されてきた一見無関係と思われるニュースを俯瞰的に眺め、それらの共通点から本質的な要素見いだそうというものもよく見かける。
眠りながら風を感じる
夜中に目が覚めた。おかしな夢を見ていた。どこかの子供と人間とロボットの違いはどこにあるかについて語り合っているらしかった。私は「ロボットは仕事をしていない時に電源を切っておいてもまた起動させることができるが、人間は死んでしまったらもう生きかえることはない。
将来を担う子供たちに何を渡すべきなのか
最近、いかに自分が多くのものを両親はじめ先輩方から受け取ってきたかを強く意識するようになっている。その量は、幼稚園から大学までの教育機関で受けたものよりも遥かに多く、影響力の多いものである。
猛暑の攻防戦
オリンピックの話ではない。毎年、猛暑の時期に遭遇する「電子機器の不具合との戦い」である。この数年は恒例行事のようになっていた。このコラムで何度も取り上げたパソコンの熱暴走は完全に私の負けだった。
何を増やし何を減らすか
あと何年生きられるだろうか。有限であることだけは確かである。一方で、これからの人生で使える資産が有限であることも確かである。地球レベルで限られた資源をいかに減らさず有効に使うか、を考えることは現代の大きな課題である。
今年の夏を満喫する
頂き物のそうめんをゆでて、何種類もの夏野菜をきざんでたっぷりと乗せる。ゆで卵を乗せて、麺つゆと酢をベースにした自家製のたれをかけて食べる。練り辛子が刺激になる。ああ夏だな、と実感する。
体力は気力より先に衰える
温暖化の影響か、熱中症の危険は早い時期から訪れ、脅威の度合いは年々高まっている。一方で我々の知識も豊富になり、熱中症対策も年々高度化(?)している。私も、今年からは温度と湿度の両方を計測できる機器を複数設置し、その数値を見ながら、エアコンの除湿、冷房、送風を使い分けるようにしている。