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信じたい気持ちは真実よりも強い


2025.5.4


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 ネットの世界には真実の情報だけではなく偽の情報が多く存在する、と誰もが知っている。AIの発達によって、偽の情報がより真実と区別がつかない状態になっているということも、大半の人が認識しているはずだ。それでも、多くの人が偽情報に騙される。いや、それ以上に、他の人から見れば真実とは到底思えない情報を信じてしまう。

 ネットリテラシー教育では、必ず「来た情報が真実であるか否かを自分で判断するように」と言われる。しかし、本当にそれが有効な手段なのか疑問を感じるようになった。そもそも、情報の真偽を判断しようとする以前に、人間は「信じたいこと」にしか関心がないのではないか。信じたい気持ちは真実か否かよりも強い力をもち、人間を引き寄せる。

 私の知り合いの医師は、コロナワクチン反対を主張していた。世界中からコロナワクチン接種の危険性を伝える論文や情報を集めて、ワクチンを打たないよう周囲の人たちを説得していた。私は、その人の話題がそちらに行くと正直うんざりした。要するに、その人は「ワクチンが危険であると信じたい」だけだったのではないか。専門家でもない私に何が真実かわかるはずもない。もちろん海外の論文など理解できるはずもない。

 実は、私自身も同じ傾向がある。私は医者に行くのが嫌いである。なぜなら検査されるのが怖いからである。検査すれば何かしらの数値が正常範囲を逸脱しているだろうし、そこで薬を出され、いずれは薬漬けになるのは明らかである。検査さえしなければ何も見つからないので私は健康(全く薬を飲んでいない状態)なのだ。そこで、それを裏付ける「高齢者は検査など受ける必要はない」という情報を必死になって探している。入ってくる情報が真実か否かを自分で確かめるために反対意見を探すつもりなどさらさらない。

 では、個々人の「信じたいもの」はどこから来るのだろうか。それは、その人の持つ倫理観、宗教、育った環境、欲望、執着心、大切にしたいもの、などだろう。これらがフィルターになって、そこを通り抜けた情報が「真実か否かにかかわらず」集まってくる。それを通じて、同じ思いの人とつながり、集まって心地よい空間を作ってしまう。その心地よい世界に「真実」などどれほどの意味があるのだろうか。

 残念ながら、現在「真実」と言われている事実も評価が変わる可能性がある。宇宙の成り立ちや量子力学の解釈まで引きださなくても、世の中は分からないことだらけなのだから。情報が真実か偽物かを素人が正しく判断することなど到底無理ではないか。

 この際、人間よりも頭が良いとされつつあるAIの力を借りようではないか。せめて、数値の誤り、画像がフェイクか否か、発信された情報の最初の出どころだけでもAIに教えて欲しい。それによって「信じたいもの」が揺らぐのであれば、有名人のフェイク映像を信じて投資をする、海外の大金持ちを助けるためになけなしの老後資金を送るなどの不幸な被害は、少しは防げるかもしれない。それでもだめなら自己責任で、と言うしかない。

 高齢者になると問題を理解し、調べて判断する力が弱る。せめて信じるものが真実に近いことを願いつつ平和に暮らしたい。AIさん新しい技術で助けて欲しい。お願いします。

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