その昔、「この海の向こうにはアメリカがあるのか」、「この空はどこかの国とつながっているんだ」と様々な思いを持ちながら景色を眺めていた。一方で「そこに行くチャンスは自分には一生来ないだろう」とも思っていた。しかし、大人になって、海外に行くチャンスは想像を超えて多く訪れた。それでも、外国に行くことは、私にとっては高い壁を越えなければならないことだった。国境というものは厳然として存在していたからだ。
最近になってその気持ちが薄れてきた。そのきっかけの一つが気候である。何十年に一度の災害というものが頻繁に起きる。でも、同時に隣国でも同様な災害が起きている。いや、世界中で起きている。そして、その原因が同じ「気候変動」によるものだといわれる。さらに、その気候変動を引き起こしているのは「地球温暖化」であると結論付けられる。当然だ。世界の国々は海も空もつながっているのだから。どこかの国だけが無事なはずはない。
情報ネットワークの広がりも、国境の壁の高さを忘れさせるきっかけのひとつである。かつて、仕事で何度か米国を訪れた。その度に米国の情報技術(IT)の進展を目の当たりにし、「日本はかなり遅れている」とがっかりしながら帰国していた。最後に米国に渡航したのは2008年だった。オバマさんが大統領候補になったときである。それから16年後の昨年秋、サンフランシスコとシリコンバレーを訪問する機会を得た。正直なところ、ITに関しては驚くことはなかった。AIについても、全て既に知っていることであったし、今後のAIの方向性についても想定内だった。それだけ情報が世界中に広がるスピードが速くなっていて、技術の分野では特に国による差が無くなっている。むしろ、「どうやって国を超えて多くの人達が連携して次の技術を迅速に生み出すか」が重要だと実感した。
一方で、人間は相変わらず国境を意識し、自国の勢力拡大に血道を上げている。侵略して土地を増やす、他人からより多くの資金を奪う、武器の多さで力を誇示する、などなど、これが人間の本能なのだろうか。貴重なエネルギーを争いに使って枯渇させ、人の命を奪うだけなのに。このまま地球が滅びてしまうのではないか、と心配になる。自国の問題は地球全体の問題だと、今こそ気づくべき時なのに。
もっと身近な問題について考えてみたい。日本では人口が急激に減っているが、地球全体ではまだまだ増え続けている。一方、地球規模の気候変動で農作物の生産がこれまでよりもずっと困難になることは目に見えている。であれば、今後、地球規模で食料不足になる恐れがある。日本人がコメを主食にすることはいつまで続くかわからない。そこまで考えれば、令和のコメ騒動も地球規模の食糧問題まで視野を広げて考えるべきときではないだろうか。私自身はコメを選ぶ基準を「値段」にしているので、味はともかく安いものを選ぶ。国産でなくとも構わない。味にこだわって国産のブランド米しか食べない人もいるだろう。その人達がコストに見合った高いブランド米を買うのはしかたないと思う。
国境にこだわり続けるのはなぜなのだろうか。すべての問題は地球規模で考えなければ解決策は見つからないはずなのに、自国だけを守ろうとするのはおかしくはないか。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)

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全ては地球規模の問題
2025.6.15