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許容レベルを変えるとどうなるか


2025.3.9


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 かつて(若い頃)は物や事に何かしらのこだわりを持っていたが、最近は殆ど消えてしまったような気がする。例えば食べ物であれば、体に悪いものが入っていなければ、別にどのブランドであるか、生産地はどこかなどあまり気に留めなくなっている。むしろ、コスパや塩分の方が気になる。味覚が衰えているわけではない(と思う)。こんな私でも美味しいものは本当に美味しいと感じるし、生きていてよかったとさえ思うこともある。ただ、それは1年に一度あるかないかのハレの日に口にできればよい。普段から食べる必要などない。

 こだわりが無くなると、物事に対する自分の許容レベルの下限が下がる。それによって許容範囲が広くなる。結果として選択の幅が広がり、自由になる。これは様々な点で有難いことである。身近なところでは生活費の節約にもなる。新たな物を試す楽しみも増える。

 例えば、ある商品が欲しいと思ったときに、私はスーパーなどに行く前にAmazonで探す。様々な商品がこれでもかと出てくる。もちろん一度も買ったことのないものが大半である。それを、評価のコメントをじっくり読んで買っても大丈夫かを判断する。評価の数値だけで判断するのではないところがポイントである。「あまりにダサいので母親にあげた」と低い評価がついていたインナーを、「これは私のような高齢者にピッタリでは」と推測して購入したら非常にお買い得だったことがある。

 許容レベルを変えることのできるきっかけというものがある。例えば、十年近く前から行っている高血圧対策のための徹底した減塩である。最初は苦行だったが、体が慣れてきた。今では、野菜の味がよくわかるようになっている。何より、たまに外食で「味のあるもの」を食べると天国に登ったような幸せな気分にもなる。気を付けなければならないのは、すぐに「味無し」に戻さなければならないことではあるが。幸い食欲は十分にあるので、ウォーキングを頑張れば食事が楽しみでしかたがなくなる。健康は本当に宝である。

 許容レベルを変えるきっかけとしてもう一つ挙げるとすれば、「諦め」である。理想的にはこうあって欲しいのだがどうにもならない時に、理想の追求を諦める。これは、(バトルが)面倒くさくなったからというのもある。直近の例では「パソコンの不調」がある。いつも使っているパソコン(ポン子と呼んでいる)は、半年前からディスプレイの画面の揺れや乱れが生じるようになった。それ以外は何の問題もない。何度も再起動をして理想の状態にして利用していたのだが、最近になって諦めた。まだ買って2年であるが、悪いくじを引いてしまったと思うことにした。この文章もポン子でWordで書いている。画面が乱れても気にしなければ仕事はできる。だったらいいじゃないか。それに、気まぐれなパソコンなので、いつ元に戻るかわからない。その日が楽しみである。無駄な戦いは体力消耗を招くだけだ。

 最近は、コーヒーはインスタントで十分ということが分かり、お酒を飲まなくてもぐっすり眠れることにも気づいた。安い米も様々な野菜を炊き込んで食べると美味しい。無駄なことにお金を費やさなくても良くなったのだ。それでも、物価の高騰には勝てないなあ。こちらはまだまだ戦い続けなければならないようだ。

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