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人生の逆転劇と逆転しない正義


2025.9.14


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 関東に住む私は殆ど見たことがないのだが、関西万国博覧会の公式キャラクターであるミャクミャクがかなり流行っているらしい。当初これが発表されたときは、「なんと気持ちの悪い」と思った。多くの人もそう思っているはずだと勝手に決めつけていた。しかし、それは覆された。いつの間にか、「気持ち悪い」は「かわいい」に180度変わっていたのだ。しかも、金色のミャクミャク貯金箱なるものを米国のトランプ大統領にお土産として持って行ったニュースも流れた。素晴らしい逆転劇だ。

 逆転劇という言葉を使ったのは、金色のミャクミャクを開発した人の「人生の逆転劇」がニュース番組で取り上げられたからである。誰もが「これはダメだ」と決めつけたものを最終的には大ヒットさせる、といった逆転劇に我々は感動する。プロジェクトXはまさにその典型である。野球などのスポーツでも、逆転して勝てば感動は倍加し、逆転優勝はヒーローを生む。もちろん、逆転負けした側の口惜しさも倍加するのだが。

 私たちは、多かれ少なかれ、人生の逆転を願っている。それは、現在に不満を抱いているからに他ならない。現状に満足していたら、それが逆転しないことを祈るに決まっている。今、世界中にポピュリズムが増大しているのは、現状に不満を抱く人が多いことを象徴しているのではないか。現在、多くの人はかつてほどコツコツ努力すれば報われるとは信じていない。信じていたとしても、結果が出るまで待っていられない。だから一発逆転を望む。誰かが現状に鉄槌を振り下ろして壊してくれることを期待する。これはある意味恐ろしい。

 一方で、私は毎朝NHKの朝ドラの「あんぱん」を観て感動の涙を流している。ここでのテーマは、「逆転しない正義」を見つけることである。その象徴がアンパンマンである。なぜ逆転しない正義を求めるのか。それは、第二次世界大戦の敗戦をきっかけに、それまで正義とされてきたものが覆ったことにある。逆転しない正義は、戦争のない世界の象徴なのだ。我々は、人生の逆転劇に感動すると同時に逆転しない正義探しに感動する。同じ人間の心の中に両方が存在する。何故なのか。これらの二つは矛盾しないのか。

 考えてみれば、「逆転しない正義」は物事の本質にかかわる内容である。確かに、物事の本質は変わらないものであるはずだ。それが覆ってしまったら我々は心の拠り所を失う。それを見つけるために、科学や哲学は発展した。ただ、それが分かったとしても、現在の生活がすぐにも豊かになるわけではない。一方の「人生の逆転劇」は現状の不満を解消し、さらには満足度を高めたいという思いである。これもまた新技術の創造や社会の発展に寄与するものである。これら二つは両立させなければならない。ただ、現代社会では「人生の逆転劇」を求める力が勝っていて、「逆転しない正義」が忘れられつつあるのではないか。

 なぜ地球上の各地で戦争が止まないのだろうか。多くの罪もない人たちが命を落とし、弱い人たちが逃げまどっているのに。戦争の当事者は自分たちに都合の良い「正義」をふりかざしている。常に「逆転すること」ばかりが求められている。このままでは、地球の未来は危ういとしか言いようがない。ミャクミャクはどう思う?

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