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挑戦すれば半分成功したようなもの


2024.12.15


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 年齢を重ねるにつれて、何かをするのに「やらない方がよい理由」をつい見つけようとしてしまう。例えば、ウォーキングであっても、暑いから、寒いから、風が強いから、雨が降りそうだから、等々、いくらでもある。最近は、「ときめかないから」などという理由を作って逃げ出すことまで加わった。家の中にぬくぬくと引き籠るのが老いを加速させるのは分かっているのだが。

 そこに潜んでいるのは、「何か失敗するのではないか」という恐れである。具体的には、道に迷う(これは私が最も頻繁にやらかすことである)、物を失くす、行った先で思わぬ事故に巻き込まれる(列車が止まる、自転車にぶつかるなど様々)、行った先で不愉快な思いをする、などなど、いくらでも見つけられる。年齢を重ねれば、過去の経験からこういった失敗事例は多く積みあがっているので当然かもしれない。逆に、若い人には失敗の経験が少ない分、新しいことへの挑戦のハードルは低い。しかし、それではいけない、と最近強く感じるようになった。人生はまだまだ続く。頭も体も、つらいことに耐えられるようにしておかなければならない。そのような時に、大きな挑戦のチャンスがやってきた。

 最近、十数年ぶりにアメリカへの渡航をした。単なる観光ではなく仕事に位置づけられる。50歳から60歳前後までは頻繁に仕事で海外に行っていた。それが十数年間途切れてしまったのは、その間に、自分の退職を含む家族や自分に大きな変化があったこと、それに続くコロナの期間があったことによる。その間、パスポートは更新したものの使うことなく期限が切れてしまう恐れが生じていた。それがなぜ挑戦する気になったのか。そこには自分自身の「世の中のITの進歩から自分の知識や認識が後れを取っているのではないか」という強い危機感があった。それが背中を押した。まさに勢いとしか言いようがない。しかし、渡航を決心してから準備している間に、多くの不安が首をもたげたのも事実である。

 事実、失敗は数限りなくあった。そこで気付いたのだが、失敗は多くの気づきと学びをもたらすということである。何かが「できなかった」のであれば、それをできるようにすることが、次の技術開発やサービス開発のきっかけになる。もちろん、昔無かった仕組みを経験することは、不安を増加させ、もたついて回りに迷惑をかけることも多い。しかし、それが現実を知るということなのだ。新たな経験が次に失敗しない糧になる。

 今回の挑戦から「終わり良ければ全て良し」という言葉が強く響くようになった。それは、たとえ途中で多くの失敗があっても、それらから多くの学びがあり、トータルすればプラスになることを実感したからである。そうなるためには、出発点、つまり「挑戦すること」と終わり、つまり「完結させること」が必要である。どちらが難しいだろうか。「完結させること」が難しいように思うが、実は「挑戦すること」が最大の関門だと私は思う。完結させるのは、終わりにしなければ(諦めなければ)いつか可能になる。でも、挑戦には最初に述べたような様々な「できない理由」の誘惑があり、それに耐えられない恐れがあるからである。挑戦した時点で半分成功したようなものだ。そうではないだろうか。

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