温暖化の影響か、熱中症の危険は早い時期から訪れ、脅威の度合いは年々高まっている。一方で我々の知識も豊富になり、熱中症対策も年々高度化(?)している。私も、今年からは温度と湿度の両方を計測できる機器を複数設置し、その数値を見ながら、エアコンの除湿、冷房、送風を使い分けるようにしている。しかし、ここで忘れてはならないことがある。私自身が年々高齢になり、去年の自分ではなくなっているということである。その証拠に、塩タブレットと水分補給ではとても対処できないと気付く恐怖を外出時に経験することがある。他にも生活の中で気づく変化は多く、悔しいけれど体力の衰えは否定できない。
気力の方はどうだろうか。この1年間を振り返ると、ある集まりに出席する頻度がかなり減り、ここ半年は一度も行っていないことに気づいた。それを私は気力の衰えではないかと考えた。しかし、最近になってそうではないと気付いた。この集まりに出るきっかけは、私のウォーキング習慣の延長線上にあった。つまり、ウォーキングの行き先が集まりの会場になっていたので、出席が習慣になっていた。それが、暑さ、寒さを理由にしてウォーキングの距離、コース、頻度を縮小したため、出席習慣を失ったのである。まさに体力の衰えによるものだった。こうしてみると、衰えはまず体力から始まるように見える。
米国の大統領を引き合いに出すまでもなく、明らかに体力の衰えが見えるものの気力は衰えていないという高齢者も多い。しかし、若い人にとっては、気力だけで現状(既得権)にしがみついているのは迷惑なのではないか。例えば、リーダーは体力と気力の両方が充実していて欲しい、と思うだろう。もしも体力の衰えを感じたら、新たな行動に舵を切ることを考えるべきではないか。体力が衰えても気力があればできることはあるはずだ。それを積極的に探していくべきであると思う。例えばボランティア活動である。それも、気持ちの高まりから始めると意外に長続きするのではないか。
私が県の生涯学習センターでボランティアを始めて半年以上が経った。こちらはパソコン室に詰めてパソコンを使いに来る人達の相談にのるというもので、時間は使うが体力はそれほど使わない。これが長続きしそうな理由は、感謝の言葉を頂けることである。それは、企業と大学で合計50年以上続けた仕事ではあまりなかったものである。なぜなら、契約により仕事をして対価を受け取るのは、やって当たり前ということになっているからである。ボランティアはそうではない。無償である代わりに、県の職員や問題を解決してあげた人からお礼を言ってもらえる。それは、自分が何かに役立っているという感覚、自分の居場所があるという感覚をもたらす。私自身の気力を維持する糧となる。
体力の衰えは自分でも気づくはずなので、まずはその時点で体力を回復させる努力をすべきだろう。でも、高齢になるとそれが難しくなることは経験上よく分かっている。であれば、体力の方は器具や機械のサポートを受け、気力があればできることを探すのがよいのではないか。それを怠っていると気力の方まで失われてしまいかねない。そうなる前に、アンテナを高くして喜びをもたらしてくれそうなものを探し続けよう。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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体力は気力より先に衰える
2024.7.21