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欠点が強みに変わるとき


2025.10.19


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 今年(2025年)、日本では2人の研究者がノーベル賞を受賞した。混沌とした社会情勢に翻弄されている現在の日本にとって、明るいニュースである。連日報道される、お二人に共通する「否定されても諦めずに研究を続けた努力の結果であること」について、大いに納得した。若い研究者たちは、改めて研究を続ける意志を固めただろう。多くの子供たちが研究者を目指したいと思ったはずである。

 一方で、私自身はノーベル賞を受賞したお二人とは真逆の人生を歩んできたな、と改めて実感した。私が研究者にはなれなかったのは当然である。なぜなら、私は非常に飽きっぽく、さらに、面倒臭いので何とか楽をしたいと思う性格だからである。だから、否定されたらすぐに「このまま進んだら無理だな」と判断して、「それなら別の道を行こう」とたちまち気持ちを切り替える。結局、この77年間、何も誇れるものを成し遂げることなく過ぎてしまった。しかし後悔はしていない。むしろ、そのお陰で幸せな人生が送れたと思っている。

 実は、「ダメな自分が幸せな人生を送るために何をしたらよいのか」を常に考えてきた。最初は10歳の頃である。体は小さく、病気がち(よく熱を出した)、しかも不美人(周囲からご面相が悪いと言われていた)な私にとって、唯一誇れるのは学校の成績の良いことだ、と思い至り、これを強めることが重要と考えたのだ。しかし、中学、高校、大学と進むにつれて、これが全く力にならないことを実感するようになった。その大きな理由は、「世の中には自分よりも頭の良い人優秀な人が沢山いる」ことに気づいたことである。一方で、自分には周りの人とは違う強みもあることにも気づいた。一度に複数のことをバランスよく行えることである。自分の能力(リソース)を使うタイミングを頻繁に切り替えることで、あたかも同時に複数のことをしているようになる。それはまさに、「飽きっぽく」「面倒臭がり」の性格によって可能になっている。まさに、欠点は強みに変わっているのである。

 この強みの最も発揮されたのが、私が仕事と家庭を両立させることができたことである。飽きっぽい性格は、何かに集中することはできないが、すぐに別のことに頭を切り替えることには有効だった。面倒臭がりなので、仕事の生産性を上げることを考え、できるだけ楽ができる方法を探した。さらには、悩みがあっても一晩寝れば忘れられる、嫌なことは引きずらない、という有難い性格も後押ししてくれた。

 生産性を上げることのメリットは後半の人生にも活きた。子供たちが成人して出て行った50歳台、私には子育てにかけた分、時間の余裕が生まれた。それを使って将来への投資をするつもりで、大学院に社会人入学をし、57歳で工学博士の学位を得ることができた。それにより、企業を65歳で退職した後、大学の教員としてさらに10年働くことができた。欠点のお陰で幸せな生活が送れた、と言えるのはこのようなことからである。

 部屋の片隅にはかつて夢中になっていたマイコンやその周辺機器が押し込んである。他にも、飽きてしまって再び手にすることはないであろうモノがあふれている。面倒臭がりの私は、片付けることなく次の何かを探し続けている。今更、性格は変えられない。

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