毎朝飲むコーヒーは、中挽き・中煎りのレギュラーコーヒーと決めている。味、香り、産地などに特にこだわりはない。安いものを近くのスーパーで買っているだけである。切らしかけていたので買いに行ったら売り切れだった。しかたなく、夏場にアイスコーヒーを作るのに使っていたインスタントコーヒーをホットで飲んだ。何と、いつものコーヒーと変わりがないではないか。私の嗅覚と味覚が衰えているのだろうか。いや、それよりも「インスタントコーヒーは不味くて飲めたものではない」という若いころの思い込みが間違っていたのかもしれない。技術の進歩は至る所にあるはずだ。そういえば、ノンアルコールビールのCMでも盛んに不味いという思い込みの払拭を図っている。
先の衆議院選挙では、投票所入場券が届いていなくて大慌てした。郵便物を丁寧に調べたのに見つからない。私は忘れられた存在なのか。すると大きなダイレクトメールの間からパラリと一枚のハガキが出てきた。小さな文字で「投票所入場券」と書いてある。小さなハガキの裏表に、投票所の地図から期日前投票の方法まで全て書き込んであるので、余りにも字が細かすぎて読むのに苦労した。これまでは封書で届いていたのに、なぜ変えたのか。全国一律にこうなったのならなぜニュースにならないのか。疑問が膨らんだ。まず子供たちに聞いてみた。一人は封書、一人はハガキとのこと。そこで自治体によって方式が違うことを初めて知った。ハガキから封書に変えた自治体もあることから、これからも変わりうる可能性もあるようだ。思い込みに気を付けなければ、と改めて認識した。
変わりうるものは多いとは感覚的に分かっていた。特に技術的なものは日々進化している。例えば、一年以上前に投稿された技術情報は信用してはならない。以前問題なく動いていたプログラムモジュールが、現段階でそのまま動く保証はない。それと同じで、生活にかかわる様々なルールも変わりうるということを認識しておかなければならない。つまり今どうなっているかを考えながら生活する必要があるということである。
今の状態を知っておくべきことの中に「自分の体の状態」があるのは万人が認めるところだろう。でも数値ではなかなか測れないものもある。それを最近実感した。6年ほど前(70歳前後)、防災訓練の一環で、階段を使ってどこまで楽に上れるかを試したことがある。その時は、7階までなら手摺も使わず楽々と上れることが確認できた。それを最近になってもう一度試してみた。6階までは楽々だったが、そこから息が上がるようになり7階に行くのがつらくなった。幸い、手摺を使うことは避けられたが、明らかに体力は落ちている。ウォーキングの時間や距離が以前より短くなりつつあるのも事実である。現在の段階でどこまで自力で行けるか、上れるか、を知っておくことは、防災の観点からも大切である。
固定観念から脱却して楽しみを増やしたことがあった。昔からビールを飲むのが好きではなかった。美味しいと思ったことがなかったからである。この夏、地ビールなるものを飲んでみて、初めて「ビールがこんなに美味しいものだったのか」と実感した。昔は無かった選択肢があるのだ。「今ってこうなっている」というのをもっと探したい。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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今ってこうなっているのか
2024.11.03