大手製造業の管理職をしている人から聞いた話で驚いた。その人は、物質の組成、すなわち化合物の構成成分とその量の割合、から臭いを数値化する技術について調査しているとのことである。その人の会社は製造業ではあっても薬品や化学物質を製造してはいない。なぜその様な技術を調査する必要があるのだろう。疑問をぶつけてみたところ、工場の近隣住民への臭い対策のためとのことだった。工場と近隣住民との関係において、騒音や廃棄物の処理は重要だと言うことは分かるが、最近は臭いも重要性を増しているようだ。
私は小学校低学年まで、東京の下町の町工場の多い地域で暮していた。家は父親の勤めるメッキ工場の敷地内の社宅だった。隣には大手薬品会社の子会社の工場があった。道端にはどぶ川が流れ、常に化学薬品の臭いが充満していた。さらに近所には馬屋さんと呼んでいた馬車を使った運送業を営む家もあり、馬の落とし物が道に落ちていた。小学校の同級生の家は小さな工場を経営していて、近くを通ると鉄と油の臭いがした。トイレは汲み取り式だったので、汲み取りのバキュームカーが来ると鼻をつまんで逃げていた。もう65年以上前の話だが、それが当たり前の生活臭だった。
ところで、ここで私が「ニオイ」と言っているのは、臭い、匂い、さらには香りを総称したものである。ニオイの感じ方は人によって異なる。人によっては不愉快な臭いと思うものも、懐かしい匂いと感じることもある。私の子供の頃の生活臭は、今ではとても考えられない異臭かもしれない。でも、その臭いが懐かしさを呼び起こすことがある。感じ方の強さも人によって異なるだろう。だから、最初に述べた臭いの数値化ができても、そのまま工場の近隣住民の感覚とは結びつかないのではないか。もちろん、そこまで考えて研究をしているとは思うが。
現代は、多くの人がニオイに敏感になっている。様々なニオイを消すために様々な消臭剤が売られている。しかし、消しただけでは味気ない、つまらないと思うのか、その先で人間が好むと思われる香りが付け加えられる。現代は、かつてとは全く違う、化学で作られた不思議なニオイの世界になっている。
私自身は、食べ物のニオイ、素材から調理中、調理後のニオイが好きである。野菜も(唯一パクチーだけはだめだが)その香りだけでなく野菜屑のニオイまで愛おしい。一人暮らしなので、あえて消臭などはしない。子供の頃、夕食時になると母が七輪を家の外に出して干物やクジラの肉を焼いていた。その匂いが食欲をそそった。一方で、夏場になると朝に炊いたご飯が昼頃になるとすえた嫌な臭いを発するのを、子供ながらに不愉快に感じた。こうして食物の安全性を体感で学んでいったのだろう。今でも、食べ物のニオイは私の食欲増進材である。一方で化学製品のニオイが私は苦手である。例えば、洗濯洗剤、シャンプー類、ボディーシャンプー、ハンドクリームまで、できるだけニオイのないものを選ぶ。
総じて、ニオイが消えていく現代はあまりにも味気ない気がする。ニオイとの良い関係を築いていく方法はないものだろうか。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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世の中からニオイが消えていく
2024.12.22