今年は新幹線が開通して60年とのことで、60という数字が何となく目に付くようになった。2か月前に76歳になった私の目線で60年間を考える機会も増えてきた。当時16歳の高校生だった私に、60年はどのような変化をもたらしただろうか。
まずは、60年前を思い起こしてみる。その年の春、私に(良くも悪くも)影響を与えていた母方の祖母が亡くなった。私にとって身近な人を失った悲しみはそれほど感じなかった。それよりも、祖母の闘病中に母が不在で家事を引き受けざるを得なくなったこと、家の中がぎすぎすして父との関係が悪化したことなどのストレスが大きかった。この年の秋、東京オリンピックがあった。テレビで観戦できたが、それほど感動することはなかった。
ここで気づいたのは、「死」に対する私の受け止め方の大きな変化である。60年前には若かった私にとって年長者が亡くなるのは当たり前、ほぼ認識していない状態であったと言える。変化したのは母親になった30歳の時である。その頃から死をひどく恐れるようになった。理由は、「自分は子供を守らなければならない。そのためには絶対に死んではならない」。という強い気持ちから来るものだった。20年後、子供たちが成人するとその気持ちは消えていき、死について考えることも殆ど無くなった。
次の変化は約10年前である。夫が末期の肺ガンと診断されてからわずか3週間で亡くなった。その2週間後、愛犬が後を追った。その半年後、父が大往生を遂げた。その頃、死はろうそくの火が消えるようなものであり、この世の中から消えてしまうことであると実感した。その時点で、死ぬことが怖くてたまらなくなった。世の中から消える、残った人達の記憶からも消える、それには耐えられない。その気持ちはますます強くなっている。
60年でもう一つ大きな変化があった。それは、他人との関係からくる様々な悩みが殆ど無くなって来たことである。16歳当時、それは親との関係から始まった。父との間の摩擦は数十年続き、私は実家に殆ど帰らなかった。しかし、距離を置くことにより、次第に私は父の気持ちが理解できるようになった。一方で、父も私のことを認めるようになっていた。
親族との関係だけではない。競争社会から外れ、コミュニティとの付き合いも適度に距離を置くことができるようになってからは、人間関係のストレスがほぼ無くなった。親戚やご近所から「付き合いの悪い冷たい人間」と思われている可能性はあるが、気にしないことにした。それこそ、アドラーが教える「嫌われる勇気」の実践である。周りを気にすることなく前を向いて歩く、それだけだ。
さて、最後に「これから」について考えたい。もちろん、これから60年生きるのは不可能である。でも、うまくすればその半分は行けるはずだ。事実、母は100歳を越えたが元気である。ここで、私にはどうしても解消したいことがある。人間は悩むことが仕事らしい。一つの悩みが解消すると次の小さな悩みが顔を出す。悩みの種は尽きない。その象徴的なものが「数値」である。血圧が○○を超えたら・・、塩分は○○g以下に・・、歩幅は○○cm以上になるように、などなど。統計数値にふりまわされることから解放されたいものだ。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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これまでの60年間とこれから
2024.10.20