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星の庭園


2025.2.23


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 言語は不思議だ。通常は単なるコミュニケーションの手段としてしか見られていない。しかし、もっと違った力を持っているように思える。たとえ意味が分からなくても、耳から入ってくるだけで様々な感覚を呼び覚ます。例えば、ある言語は心地よさを感じさせる。ある言語は力強く勇気を与えてくれる。心と心が共鳴するような何かを与えてくれる。言語は人間同士の関係に想像を超える重要な役割を演じているのだ。

 対話の際、双方の語る事柄の意味が分かれば用が足りるのであれば、AIを使った翻訳機さえあればよい。いや、対面しなくてもメールのやり取りでも済むはずだ。しかし、実際はそれでは十分なコミュニケーションにはなっていないことに、多くの人が気づいている。事実、最近はリモートワークを止めて対面でコミュニケーションをとらなければビジネスが進まないという風潮が拡大している。つまり、コミュニケーションというものは文法や意味から構成される(狭い意味での)言語だけでは成り立たず、人間の感覚も含めた複雑で繊細な何か、すなわち、広い意味での言語を必要としているのではないか。

 私は、毎日、様々な言語の音声が耳に入る環境に身を置いている。残念ながら会話しているのではなく、音声をスピーカーから流しっぱなしにしているだけである。23か国語の音声があちこちから聞こえてくるのだが、最初に書いたように、言語によって感じ方が違う。そして、私が最も心地よいと感じる言語のひとつがトルコ語である。一方で、最も聞き取るのが難しいのもトルコ語である。発音は毎回違うように聞こえるし、どこが単語の区切りなのか、まして単語の意味は何なのかなどさっぱり分からない。それでも聞いて心地よい。

 2年以上前からトルコ語を聞いている。挨拶は「メルハバ」、お礼を言うときは「テシェキュレデズム」、相槌を打つときは「エベツ」くらいは早い時期に分かるようになった。最近になって気になっているのがお客様を迎え入れるときの「ホシガーデン」という言葉である。多分、「いらっしゃいませ」だろう。それを聞くと、星空の下の庭園に親しい友人たちを招き入れている情景が浮かんでくる。まったく関係ないのだが、心がほっこりする。

 トルコ語では、他にも私の心に届く言葉がある。少しずつ、徐々にと言うときの「ヤバシ」。何かお願いするときの「ビンデ」。とりあえず、と気持ちを切り替える時に使う「ネイサ」。とても、と強調するときの「チョーク」というのもある。いずれも日本語に近い感覚を覚える。これが私の心に響く要素なのかもしれない。

 世界中で戦争、紛争、分断が起きている。言語の違いはそれほど影響していないように思える。なぜなら、最近は同じ国の中での分断も多いからである。過去は変えられない。宗教、文化、歴史の違いはどうしようもない。しかし、人間には感覚が備わっている。心地よいか、胸が締め付けられるか、悲しいか、の感覚はロボットには備わっていない、人間にはある。だから、人間同士ならいかに愚かな争いをしているか分かるはずだ。心と心が何らかの音を通じて共鳴することで、理解を深め、争いがなくなることはないだろうか。このあたりを研究している人はいないだろうか。星の庭園に「ホシガーデン」(いらっしゃいませ)。

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