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壊した後どうするのかが問われる


2024.11.24


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 NHKの朝ドラを毎日観るようになったのは、フルタイムの仕事を辞してからである。5年以上経つので、ドラマの数は10を超えている。次第に、ドラマに対する自分の好みの傾向が見えてきた。多くの人がそうではないかと思うのだが、最も好きなのは「モデルとなる人物があり、その人が幾多の困難を乗り越えて目的を達成する」というものである。モデルは、私が尊敬している偉人ならなお良い。

 有名人のモデルがないオリジナルのドラマでも、テーマに一貫性があれば見続けたいという気持ちが強まる。さらに、時代背景が自分や自分の家族などに近ければのめりこむことができる。主人公と一緒になって目的地に行きたいという気持が高まるからである。一方で、朝のルーチンに組み込まれているので(仕方なく)見続けている、というドラマもある。それらに共通しているのは、最終的な到達地点が不明確で、やっていることがどんどん変化していくことである。さらに、小ネタを色々出して話題作りに力を入れていると思われるときは、むしろ鬱陶しく感じる。主人公が魅力的であっても、周囲の登場人物に受け入れがたいキャラクタがあったりすると観る気が失せる。朝は気持ちよく過ごしたいではないか。

 なぜ朝ドラの話題を持ってきたかというと、最近の世の中の傾向として「ブレないことをよしとする」ことが目立っていることに気づいたからである。つまり、目標を決めたらそれに向かって邁進する。例えば、現状のはらむ問題を解決するために強い打開策を提示し、手段は問わず何が何でも実現する。まるで私の好む朝ドラのようではないか。

 しかし、ここに恐ろしさが潜んでいる。先ほどの内容を聞こえの悪い言葉で言えば、現状をぶち壊すために手段を選ばない。それが他に悪影響を与えようと知ったことではない。それが、各国の政治の世界で広がっている。つまり、多くの人たちが現状に不満を持ち、それを打ち壊すためには手段を選ばないことに賛成しているのである。

 さらに、SNSの力がそれを後押ししている。SNSで自分に近い意見が発信されると、どんどん同じ方向にまとまっていき、さらにそれが広く拡散していく。そして、大きな勢力となる。選挙でSNSが流れを変え、予測もつかない結果にたどり着くのは当然のことかもしれない。でも、その出発点が「最終的な目的のために手段を選ばない」ことにあるのは忘れてはならない。それだけ、世界は不満に満ちているのである。

 私自身は、現状を打開したい(ぶち壊したい)という気持ちを理解できる。この複雑な世の中の様々な問題を、現状の延長線上で、万人が納得できる最適解を見つけて解決するのには時間を要する。事実できていない。そうであれば、現状をまず壊してしまって作り直す方が良いのではないか。そう思えることが多いからである。でも、それをするには、当然考えなければならないことがある。壊した後どうするか、つまり、壊した後の世界をどうしたいのか、を真剣に考えておかなければならないということである。 モデルのあるドラマは、最終的な姿が見えている。だから、現状の困難を打開していく主人公に安心して付いていける。現状を壊す前に、まずは最終的な姿を描く必要がある。

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