毎日の生活の中で無理して、良い人でいようとすることは無いだろうか。私は、会合などで小さな子どもたちが大声でどなりながら走り回っていたり、下校途中の小学生が猛スピードで走っていたりするのを「ほほえましく眺めている優しいお婆さん」を演じているが、本音では、ぶつかられたら「私が」倒れてケガしてしまうかもしれないと恐れている。時々、自分は子供嫌いなのではないかと自己嫌悪に陥ることもある。他にも無理をしていることは多い。血圧を上げないために塩分を極端に減らした味気ない食事、筋肉を鍛えるためのウォーキング、ときめかないイベントへの参加、などなど。本音を言えばもう止めてしまって自由に暮らせたらどんなに楽しいか、と思う。
若い頃にはもっと「本音を抑えて建前で生きる」ことが求められた。何が建前かを知るために年長者にお伺いを立て、時には叱られながら、振舞っていた。周りとの摩擦を避けるには必要だったのだが、それが結構な負担になっていた。ところが、徐々に「建前よりも本音で生きられる」時代になって来ている。そして今や、世界中で「本音で生きられる社会」が主流になって来ているように見える。
具体的な「本音」の例を挙げてみよう。
・自分が一番大切 ・面倒なことはしたくない ・既得権は手放したくない ・昔の栄光を取り戻したい ・コスパが大事 ・リスクは避けたい などなどである。これまでは、他者の想いを大切にすることや、地球の全ての人たちの将来のために持続可能な社会づくりに取り組むことが「当然のことのように」捉えられてきたが、どうも、これらは建前であって、本音の部分ではそうではない、と多くの人が考えているように思われる。
米国で新しい大統領が就任した。自分が、自分の国が一番大切、昔の栄光を取り戻す、持続可能な社会や地球の将来は二の次、と考えているようである。まさに「本音」がむき出しの社会を実現しようとしている。そして多くの人たちがそれに賛同している。つまり、米国の多くの人たちが本音で生きられる社会を求めていたのだ。それは他の国々でも見られる傾向である。なぜなのだろうか。それは今が幸せを感じられない社会であり、努力しても幸せな未来が見えていないからではないか。言い換えれば、「建前に搾取されている社会」に見えているのだ。でも、本音で生きる社会は危険をはらんでいる。大きいのは将来につけを残すことである。地球の温暖化が加速して住めなくなっても、火星に移住すればよいと本気で思っているのだろうか。
一方で、少しの希望もある。建前も本音も変化して来ており、両者は近づいてきている。例えば、50年くらい前に書かれた小説を今読むと、目を覆いたくなるような差別的な言葉が多く出てきて不愉快になる。我々の通常の感覚(本音)が変化しているのだ。かつてのしきたり(建前)も強制されることなく消えてきつつある。柔軟で自由な振舞いが許されるようになっているのだ。自分が大切(本音)と皆が幸せ(建前)が歩み寄ることが次の課題かもしれない。時間はかかりそうだが期待しよう。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)

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人は本音で生きられる機会を求めているのか
2025.1.26