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ジジババ上等じゃないか


2024.10.6


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 土曜日の朝に楽しみにしている旅番組がある。最近、27年以上MCを務めていた俳優のKが番組を降りた。この1、2年のうちにみるみる痩せて髪は白くなり、直視できないほどの変貌ぶりだった。しばらく休んで復帰すると、容貌はさほど変化はなかったものの、活舌は戻り、肩の力が抜けたようにリラックスした雰囲気になっていた。しかし、降板は避けられなかったようだ。

 MC最後の日は、かつての映像と最近グァムに旅した映像が交互に流された。かつての映像に対しては「ジジイになる前」と言い、最近の映像に対しては「今のはジジイ」と本人がコメントするのはちょっと驚いた。グァムでは連れの人から離れてわざと勝手な方向に歩いていく(徘徊老人風の)パフォーマンスをして見せたりして、なんだかジジイを楽しんでいるように見えた。このまま楽しいジジイとしてMCを続ければいいのにと思ったものだ。

 私はKよりも数歳年上だが、まだババアを楽しむ気になっていないようだ。頭では分かっている。だから、このコラムでも後期高齢者であることを何度も強調してきた。でも、心はついてきていない。鏡を見れば確かに老人だけれど、鏡から離れると自分は永遠の五十代なのだ。(かつては永遠の四十代だったのだが、さすがに2人の子供が四十代なので同じではまずいと十年上げた。)

 小さな子供たちとのゲームで、「お婆さんはそこに座ってね」などと言われるとガックリ来る。景色を楽しみつつウォーキングをすればいいのに、いざ歩きだすとまるで鬼退治に行く桃太郎のごとく必死になり、景色など楽しむ余裕はない。駅では階段で昇り降りすることを自分に課しているのだが、脇を若者が段を飛ばして駆け上っていくとむかっとしてしまう。かといって自分にはそんな体力はなく、むなしい。

 行動にいちいち理由付けしたくなるのも悪い癖かもしれない。電車の中で席を譲ってもらったときに断らないのは、譲ってくれた若い人が気分がよくなって、また同じ行動をしてくれることを期待するからだ。電車の優先席に座るのは、疲れた若い人が堂々と普通の席に座れる機会を奪いたくないからだ。などなど、いちいち言い訳しないで素直に行動すればよいのに面倒くさい老人なのである。

 そんな私でもいつかは肩の荷を下ろしてゆったりとした生活ができるだろうか。そんなことを考えていたところに、一通の封書が届いた。定年まで勤めた企業のOB、OGの会からである。何だろうと開けてみると、「長寿祝い」と書かれた熨斗紙にくるまれた商品券である。ついている手紙によれば、数え年77歳なので喜寿のお祝いを贈るとのことである。近くのショッピングモールで使える。丁度買いたかったものがある。これだけでは足りないが、ワンランク上のものが買えそうである。

 何のことはない。「頭では」だの、「心が」だのあれこれ言っているが、結局お金の力にはかなわない。いいじゃないか。長寿バンザイ。ジジババ上等だ。さあ、あした買いに行こうかな。良いのが見つかるといいな。

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