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煮えたぎる夏


2018.07.29


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  7月の3連休の中日、自治会の役員会に出かけた私は暑さの直撃を受けた。まだ朝の9時半である。そして終了した12時半、帰宅途中の私は、全身の水分が煮えたぎるようだった。その日はそれで終わらず、午後にも夏祭りの打ち合わせの会合があった。部屋はがんがん冷房を利かせていて羽織るものが必要なくらいだったが、帰宅時はやはり私の血は煮えたぎっていた。ただし、足元はふらついていたが。

 平日の私には、ニュースで流れる「命にかかわるような暑さ」は別の世界の話のように聞こえていた。朝は6時半前には家を出て、冷房の効いたバスと電車で汗もかかずに大学に着く。夕方まで冷房の効いた部屋に居て、また電車とバスで汗もかかずに帰宅。家の中は30度を超えているがすぐにエアコンをかけて気温を下げる。寝るときはさらに扇風機の風でぐっすり眠れている。しかし、休日になると一変して暑さとのし烈な戦いとなる。

 次の休日は日曜日。前日に卒業研究の発表会が無事終了し、嵐の後の静けさと言いたかったが、早起きして5時から役員会の議事録の配布を行った。30分ほどで配り終えたが、その時点で汗びっしょりであった。「これはまずい、今日は家に籠っていよう」と考えたが、どうしても食料品の買い出しをしておかなければならない。しかたなく9時過ぎに歩いて15分ほどのところにあるスーパーに行った。帰りは滝の汗であった。家に飛び込んで「助かった」と叫ぶ。まるで核戦争の時代に核シェルターに飛び込むようだ。こうして、人々は家に籠ってエアコンをかけて命をつなぎ、反比例するように外はますます熱くなる。

 8月生まれの私は、夏が大好きだった。(逆に冬は冬眠してしまいたいくらい嫌いだった。)長い夏休みが魅力だったのは当然としても、やりたいこと、楽しいことがたくさんあった。炎天下でも麦わら帽子をかぶってさえいれば長時間外に出ていてもしかられることはなかった。暑い午後であっても、家中の窓を開けておけば昼寝ができた。そこに、扇風機などあれば最高だった。ハエや蚊に悩まされたこと、生ものの腐る臭いについては横に置いて忘れることにしよう。いずれにしても、工夫次第で快適に過ごすことはできた。

 風鈴の音や部屋につるしたモビールで涼しさを感じることもできた。ちなみに、私がいまだにモビールのようなぶら下げるものに憧れるのは夏の日の思い出によるものだろうか。それが現代はどうか。皆、家(というかシェルター)に籠っているので夏休みだというのに子供の声もしない。公園にも誰もいない。大きな麦わら帽子をかぶった虫取りをする子供たちはどこに行ったのか。

 たまたま見つけた風鈴を軒先につるしてみた。よい音色なはずだが、締め切った部屋からは微かな音しか聞こえない。暗くなるとカサカサという薄気味悪い音に感じられる。かつては、近所のピアノの音がうるさい、風鈴の音で眠れない、と殺人騒ぎまで起こすというニュースが流れた時代もあったが、今は昔である。シェルターの中で聞こえるのはテレビの音かゲーム機の音か、そしてエアコンの音か。外からは人が居るのかいないのかすら、うかがい知ることはできない。

 さて、困ったことに、大学は夏休みに入ろうとしている。私もシェルターに籠る日々が続くのか。電気代がどこまで上がるか心配である。ふところだけは寒々としている。



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