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怖い写真


2018.07.15


イメージ写真

 毎週木曜日の私の楽しみは、NHKのBSプレミアムで放送されている「幻解!超常ファイル」を観ることである。毎回「そうだったんだ」と驚くことばかりである。何で『ノストラダムスの大予言』はあれほどのブームになったのか、何で超能力者による未解決事件の捜査はちっとも成功していないのにテレビで人気なのか、などなど、裏話を知れば納得してしまう。そして、心霊写真や監視カメラに映る幽霊の映像やUFOの映像のからくりも。

 私は「死」を「無になること」と考えているので、死後の世界とか魂とか幽霊は信じていない。仏壇にお供えをしたり、毎月の夫の命日に墓参りをするのは、亡くなった人の思い出を風化させないための行動である。亡くなった人は「無」になっても生きている人の持つ記憶(思い出)は残るからである。それすら無くなったら、本当に存在が消えてしまうことになる。それでも、テレビで放映される幽霊(?)の映像や心霊写真とされる写真に写る恨みを込めた女性の顔などには十分に恐怖を感じていた。そのようなテレビ番組を観てしまったあとは、眠れなかったらどうしようと不安にかられたものだ。でも、そのからくりを知ってしまったら、全然怖くなくなった。

 先日、暇つぶしでネットのニュースを眺めていたら、突然の恐怖に襲われた。凄惨なニュースではない。単に「素晴らしい写真なので皆さんにお見せしましょう」という記事にすぎない。でも、私の中では「だめだ。決して見てはならない」との思いが渦巻いた。しばらく「ちょっとだけなら」「高速でめくってしまえば」「いややめておけ」との葛藤が続いた挙句、思い切って記事をクリックしてしまった。高速で数枚の写真をめくってすぐ閉じた。怖かった。そこにあったのは、「世界の富士山にそっくりな山の写真」である。雪を頂く、円錐形の端正な山の写真である。本当に「素晴らしい写真なので皆さんにお見せしましょう」という記事なのである。なぜそれがこれほど恐怖を呼び起こすのか。しかも、見る前から。

 その後しばらくその理由を考えていた。ようやく思い当たることが見つかった。夢である。私は明け方に恐ろしい夢を見て起きてしまうことが時々あるが、その大半で「よく知っている場所なのに目的地に着けない」という恐怖を感じている。さらに、そこに登場する人は良く知っている家族なのにどこか違うのである。夫のはずなのに父親だったり、子供のはずなのに兄弟だったり。そして自分が一体何者なのかが分からなくなっている。

 「世界の富士山にそっくりな山の写真」というタイトルに恐怖を抱いたのは、よく知っている山(富士山)だと思って近づくとそこは見知らぬ国である、ということが「自分はどこにいて何者なのかが分からなくなる」という夢を思い起こさせたからなのである。では、その夢のどこが恐怖なのか。多分、自分が自分でなくなることが怖いのだろう。私が酒に酔うことを拒絶するようになったこととつながっている。老いそして認知症への恐怖である。

 相変わらず私は酒場番組、旅番組、大食い番組は好きである。自分では塩分、コレステロール、糖分、そしてアルコールをカットしているが、他の人がおいしそうにそれらを摂取していることについては羨ましいとは思わない。老いの恐怖の方がずっと大きいのである。



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