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人生に大きな影響を与える年代とは


2018.07.08


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 タイトルを決めたら、最初考えていた出だしとは違うものが浮かんでしまった。いつも言っているこんな内容である。「仕事のキャリアの上で大きな影響力を持つのは、体力も知力も充実した20代後半から30代前半ではないか。この時に基礎的な力を蓄え、それを活用して30代後半から40代でキャリアを充実させていく。さらに50代からは次のキャリアのための準備をし、人生100年時代における生涯現役を目指すべきだろう」。でも、今回伝えたかったのはそんな話ではなかった。もう一度初心(つまり今朝の通勤電車の中で思ったこと)に戻って仕切り直そう。

 私は風の音に弱い。夜中に雨戸を揺さぶるガタガタいう音を聞くと目が覚める。それに打ち付ける雨の音が加わったらもう眠れない。まさに今朝がそうだった。昼間でも風の音を聞くと心が乱される。理由は分かっている。台風を連想させるものが怖いのだ。4歳から9歳まで東京の葛飾区の中川という川の土手の下にある町工場の社宅に住んでいた。毎年台風が来ると中川の水が溢れた。だから台風が近づくと、布団類を高い所に押上げ、2階の独身寮に避難した。寮生が時々中川の水位を確かめに行って「もう土手すれすれまで来ているぞ」と叫んでいた。次の日には、冠水した道を歩いて学校に行った。時々、どこかの家のトイレの汲み取り口の蓋が流れてきた。家のトイレもぎりぎりまで溢れていて使うのが怖かった。もう60年以上前のことなのに恐怖は体にしみついている。

 亡夫は地震を敏感に感じ取った。夜中によく「お、地震だ」と飛び起きた。私は全く覚えてないことが多かった。東日本大震災以降は地震に敏感にはなったが、それでも「今地震があっただろう?」と問われて「そう?全然気づかなかった」と答えることが多かった。その理由も分かっている。夫の実家は福井県にある。7歳のときに福井の大地震を経験しているのだ。その時の状況は夫だけでなく義兄からも聞いたことがある。幼い子供にどれほどの恐怖心を植え付けたことだろう。

 3歳以前の記憶は私には無い。多分一般的にそうだろうと思う。4歳過ぎてから自分で判断ができるようになる10歳までは、理屈ではなく体で記憶をしていくのではないか。それは一生残る。だからこそ、この時期には子供によい経験をさせてやる必要がある。私の子供たちはこの時期を広島県の呉市で過ごした。そのせいか、自分の出身地を広島県と言いたがる傾向にある。それはよい思い出ができているからではないか、と勝手に想像している。

 さて、体に染みついた記憶というものは幼児の時期だけに形作られるものではないことも良く分かっている。職場のトイレの鏡、電車のガラス窓に映る老女を見て「誰、この人」と何度も驚くのはなぜなのか。どうも私の脳内では自分は40代らしい。子育てから解放され仕事も充実していた頃である。だから鏡に映る己が姿とのギャップに驚くのだ。そして自分に言い聞かせる。「もういい加減に気づきなさい」。難しいかもしれないが。

 最近、私の脳もすこしは進化したようだ。私の脳内の年齢は50代に変わりつつある。そうだろう。自分の子供と同年代というのはどうみてもおかしい。



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