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想像力は身を助けるか


2018.06.24


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 「新たなものを創造するには、想像力を高めて柔軟な発想をする必要がある」と学生には常々言っている。柔軟な発想は幼いときの方ができるように思える。それは経験を積んでない分、囚われるものが少ないからである。一方、想像力は大人の方が豊かなはずである。なぜなら、多くの経験は互いに結びついて頭の中で新たなものを生み出すことができるからである。高齢者はせっかくの想像力を過去の経験に囚われることで抑え込んでいる可能性がある。柔軟性と想像力の両方が充実した青年期が一番創造性を発揮できるはずである。ぜひそれを活かして新たな事に挑戦してもらいたい。

 私自身は、学生たちと比較して想像力が豊かだと思う。私が身近なテーマについてしゃべりながらホワイトボードにどんどん文章や図を描いていくと、学生がポカンとしていることが多い。時々「何故ここまで考えが及ばないのか」といらだつこともある。これは70歳と20歳の差なのかもしれない。高齢者も頭を柔軟にして過去に囚われなければ創造的な仕事ができるはずである。

 私が『死』を現実のものとして初めて想像したのは12年前のことである。その時、ある病気が見つかり開腹手術をすることになった。お腹を切るなど初めての経験であり、出産以外は入院の経験すら無かった。恐怖感で打ちひしがれた私は、迷うことなく『全身麻酔』を希望した。手術当日、カウントダウンの声を聞き、気づいた時にはベッドが廊下を移動していた。子供たちが覗き込んで何やら声をかけて来ていた。その間は『無』だった。その時、『死』とはこの『無』が永遠に続くことだと納得した。その後夫を看取り、その2週間後に愛犬が息を引き取ったが、この気持ちは変わっていない。だから私は、死後の世界も、魂がどこかに漂っているということも信じられない。残っているのは周りの人の記憶だけだと思っている。『無』すなわち『死』が怖いので絶対に全身麻酔はしない、とその時決めた。残念ながら昨年の腸閉塞の七転八倒の痛みの末の開腹手術ではせざるを得なかったが。

 私がお酒に酔うことをきっぱりやめたのも想像によるものからである。きっかけの一つが飲み会の帰りに駅で転んだことである。「身体のコントロールを失う」ことと「老い」がしっかり結び付いてしまった。つまり、体のコントロールを失うことが続けば老いが進行していることになる、と頭に刷り込まれたのである。さらに、酒に酔うと人の名前やできごとの起きた時期などの記憶があいまいになることが「認知症」と結びついてしまった。記憶が無くなったりあいまいになったりすることが続けばそれが認知症なのだ、と頭に刷り込まれてしまった。その結果として、『老い』と『酒に酔う状態』が強く関係づけられてしまった。『老い』の先にある『死』への恐怖と相まって「もう二度と酔いたくない」という気持ちが強固となり、酒を受け付けなくなってしまったというわけである。

 お酒を止めてからちょっと困ったこともある。かつては夕食後何もできずにそのまま寝てしまっていたが、今はついパソコンを開いてしまう。目を休める暇がない状態である。さらに、元々痩せ過ぎだったのに、さらに体重が落ちてしまった。これは、「目の疲れ」と「老い」、「痩せ過ぎ」と「短命」を結び付ける想像力を発揮しなければなるまい。



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