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あの時代に戻ってはいけないし戻りたくもない


2018.06.10


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 先日、会社員時代のうちでも新卒で入社した当時の上司や同僚との飲み会があった。その中で、1年先輩の男性から「入社した頃は、朝、女性社員が部の全員にお茶を出していた」。という話が出た。ところが、私には、昼食時に課長にだけお茶を出していたことは記憶にあるが全員にお茶を出した記憶はない。つまり、私が入る前の年まででその職場ルールは無くなったということになる。ふと、1年先輩の女性達の顔が浮かんだ。いつもはっきりと会社に対して意見を言える強い女性達だった。多分、彼女達が変えさせたのだろう。何も知らない私はその恩恵を享受していたわけだ。

 思い起こせばいつも私はそうだった。私が入社した四十数年前には、今の基準で見れば明らかなセクハラ、パワハラが蔓延していたし、理不尽な差別が公然と行われていた。職場の先輩女性達はそれらについて会社に抗議し続けていた。私はというと、その後で息をひそめ、やり過ごしていたように思う。抵抗することで袋叩きに遭うのが嫌だったし、セクハラの類はさらりとやり過ごすのがよいと思っていた。エネルギーを消耗させる摩擦はできるだけ避け、そのエネルギーを仕事や勉強に向けるのが賢いと思っていた。ずいぶんと嫌みな後輩だった。面と向かってそれを言われたこともあったが、私は意に介さなかった。

 現代は、明らかに昭和の時代に比べて女性を取り巻く職場環境は良くなった。もちろん、セクハラ、パワハラ問題が毎日のように取り沙汰されるところから分かるように、理想からは程遠い。でも、私を除く多くの女性達の努力は実を結んできている。女性の管理職が少なすぎると言われるが、昭和の時代には大半の大企業ではゼロだったことから考えれば大きな進歩である。これは絶対に後戻りさせてはいけない。

 恩恵だけを受けてきたような私にできることなどあるのか。あるとすれば、後戻りをさせないことだろう。ひとつは過去の努力を決して美化しないことである。例えば、私の亡夫は子供達のオムツを一度も換えたことはない。夫も私も車の運転ができなかったし、子供たちが乳幼児のときに夫は単身赴任で不在だったので、私はいつも一人で子供達を連れて列車を乗り継いで出かけた。下の子はいつも私の背中にセミのように張り付いていた。そうしながら仕事を続けてきた。でも、そんなことを実の娘や現代の働くお母さん達に言っても何の意味もない。当時はそれが当たり前であり、それをさらりとこなすのが美徳とされていただけである。「私達の頃はもっと大変だったのだから、我慢しなさい」。などと決して言ってはいけない。過去を美化することは折角の進歩を引きずり戻すことにつながりかねない。

 ひとつだけ、これくらいは言っていいかな、と思うことがある。私は役職定年が近づく頃思い立って大学院に社会人入学をし、57歳で学位を取った。なぜそれができたかと言うと、子供達のお蔭である。子育てと仕事を両立させるために仕事の生産性がかなり上がったらしく、子育てが終わった頃から時間にかなり余裕ができたのである。その貴重な時間は次につながる財産を生み出した。それによって、65歳定年後も大学教員として働くことができている。これは若い人達への将来に向けてのメッセージにならないかな。



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