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酔わない日々の喜び


2018.06.03


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 何十年も続いた生活習慣を変えることは、その習慣が意味のないことや悪い影響を与えるものであっても難しい、と常々考えていた。ところが、70歳を間近に控えた最近になって、それがいとも簡単に実現してしまった。

 一つ目は、長時間にわたる通勤時間を使っての英語のヒアリングである。1000時間ヒアリングマラソンというCDの教材を契約し、1000時間を稼ぐために常にイヤホンを耳に入れていた。それがかれこれ20年に及んだ。その効果がないことは明らかだった。そもそも通勤時間中は殆ど眠っている。歩いているときも考え事をしてしまうので、英語をまともに聴いている時間がごくわずかであることは自分が一番よく知っていた。しかし、習慣になってしまったので止めることができなかった。それがこの4月の初め、あっさりと止めてしまった。きっかけは、2紙取っていた新聞を両方断り日経電子版を契約したことである。

 耳からイヤホンが外れたことの効果は大きかった。朝家を出るとほうきで落ち葉を掃いている音がする。曲がり角を曲がってすぐに朝の挨拶をする。電車では、立っていれば窓の外の景色を眺めながら仕事の予定を立て、座ればスマホで朝刊を読む。居眠りが殆ど無くなった。帰宅時も夕刊をスマホで読み、終われば考え事をする。懸案事項の解決のための思わぬアイディアが出てきたりする。

 もう一つは、離れて暮らす家族には信じてもらえないだろうが、「酔う」ことが無くなったということである。もう30年近く、私は365日お酒を飲まない日はない、と言ってよい生活を送ってきた。最初は仕事の一環で、後にはそれが習慣となり、夜は必ず何らかのアルコールを口にしていた。それも結構な量を。だから、夜の私はいつも酔っていた。亡夫や子供たちから何度も止めるように言われたが、「これが自分の活力の素である」と聞く耳を持たなかった。それがなぜ止められたのだろう。

 直接のきっかけは、仕事がらみでつい日本酒を飲み過ぎて、次の日の午前中辛い思いをしたことである。しかし、それはかつて幾度も経験していたことで決定的な要因ではない。その少し前、高校の同期との飲み会の帰り、駅でバスに乗ろうと走り出した途端に転んだことが大きい。けがはしなかったがコートは汚れ、眼鏡に傷がついた。何より恥ずかしかった。それらを総合して、自分の体はかつてのようにはアルコールに耐えられなくなっているのではないか、と直感的に思ったのである。すると「もう酔いたくない」との思いが生まれた。

 酔わなくても夜になれば眠くなり、ぐっすり眠れる。それにも増して「酔わない日々」は快適であることが分かった。頭がすっきりしていられる。記憶が無くなるということがない。それを強く意識したのは、毎年恒例の会社員時代の上司を囲む飲み会の帰り道である。かつては帰りの電車が辛かった。「乗り過ごしてはいけない」との緊張感も大きかった。しかし、その日はいつものように電車内でスマホで夕刊を読み、バスの時刻を調べて走ることなく乗り、次の日はいつも通り6時20分に家を出、近所の奥さんに挨拶をした。

 かつての「酔う楽しさ」を「酔わない日々の喜び」が超えたようである。



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