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掛け時計が必要な理由


2018.04.29


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 先日、300円ショップで500円(税抜き)の大き目の掛け時計を買った。3月に引っ越してきた大学の教員室(私の居室)に掛け時計が無くて不便だからである。腕時計は持っているし、パソコンでもスマホでも時刻を知ることはできるのだが、やはりアナログの針で時刻を知らせる時計があれば、「授業まであと1時間はあるな」とか「あと10分で学生が来るのでプロジェクタを準備しておこう」とか一瞬で活動モードが切り替えられる。それがないと、不安でしかたがないのである。ただし、まだ部屋に置いてはいない。満員電車で時計を運ぶのは辛いので、土曜日の授業の際に持って来よう。

 時計を見るということは、単に現在の時刻を知るだけではなく、そこから何らかの判断をし、行動に結びつけることにつながる。スマホで時刻を見ても、なかなかそれにつながらない。それに、会議中、講義中、講演中にスマホを見ることははばかられる。腕時計も頻繁に見るということが周りの人、聴衆にどう見えるだろうか、と考えてしまい、見るのを躊躇してしまう。だから、講演などで初めての会場に行くと、まず掛け時計の場所を確かめる。それが良く見えない場所(自分の背中の上あたりなど)にあると困ってしまう。時計を見ながら話の内容を増減させることが難しくなるからである。腕時計を外して机上に置くのだが、目を近づけないと見えないので殆ど見ないで終わる。

 現代の若い人達は、携帯やスマホがあるので腕時計はしなくなったようである。それでも困ることはあることが分かった。2、3年前、ある講義の中間テストの後で、「自分の席から壁の時計が良く見えなくて困ったので、前面のスクリーンに時計を映してくれないか」と言われたのだ。確かに、試験中はスマホを見ることは禁止である。腕時計を持っていないということまでは想定していなかった。そこで、フリーの時計アプリをダウンロードし、期末テストからは、試験中の注意と一緒にプロジェクタで映し出すことにした。時々学生が眺めては、「まだ時間があるな、もう少し考えてみようか」と言う表情をしている。

 最近、地域の公園のポールに掛け時計が設置された。側のバス停からも見える位置である。これは遊んでいる子供たちには評判が良いようである。まだ時計が設置されていない他の公園にも設置して欲しいと自治会に要望が出されている。子供だけではなく、散歩する人達にも便利に使われているのではないか。かつて愛犬が元気だった頃、週末の朝はかなり長時間の散歩をしていた。行く先々で、掛け時計と温度計を見るのが楽しみだった。「いつもよりペースが遅いかな」「今日はかなり寒いな」とかつぶやきながら、せっせと歩いたものである。その癖が抜けず、電車に乗っていても、電光掲示板の時刻や気温の表示をチェックしている。わざわざ、時計が見える場所に立ったり、座席が選べるならそちら側に座ったりもしている。

 デジタル化され、ウエラブルな機器が増えたとしても、公共の場の時計というものは何か別の価値を提供しているように思える。部屋の中の掛け時計も同じである。無いと不便なものはまだまだあるかもしれない。



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