かつて広島県に住んでいた時、私の実家のある茨城県が東北地方であると思っている人が多くて驚いた。中国地方から見れば、遠隔地である茨城県は東北地方とくっつき、飲み込まれているように見えるのだろうとその時は納得してしまった。神奈川在住の仕事関係者と茨城県について話した時、水戸よりも日立の方が東京に近いと思っていた、と聞かされてびっくりしたこともある。自分との関係の強いものは近くに感じ、そうでないものは遠くに感じるようである。
3年前に大いに話題となったシンギュラリティ(人工知能が人間を超えるとき)は今でも議論されることが多い。それは2つの大きな勢力の綱引きのような様相を持っている。片方の勢力は、人工知能が人間を超える日が早晩訪れ、その結果として人間がロボット(人工知能)に支配される恐ろしい世界になるか、ロボットに仕事を任せてのんびりと豊かな生活を送れる世界になるかのどちらかになる、と主張する。書籍が多く出版され、メディアを賑わせる一大勢力である。対する勢力は、人工知能は人間を超えることなどできず、シンギュラリティなどありえない、と主張する。人工知能の専門家を含む技術者が多く含まれている。人間の知能というものはまだ解明されていない部分が多く、定義することができない。現在の人工知能ができることには限りがあり、人間の能力に近づくためには大きな壁が相当数ある。囲碁や将棋やクイズで人間のトップを負かす人工知能ができても、他の面では幼児なみのことしかできないではないか、というものがこちらの勢力の主張である。
技術者は自分の専門分野については当然良く知っている。専門外の人にその内容やレベルを理解してもらうために苦労して説明をする。しかし、門外漢にとっては技術的な細かな話を理解するのは困難である。だから、つい身近な事象と結びつけて勝手に解釈して恐怖心を抱いたり、逆に夢の世界を期待したりする。まじめな技術者は、それではまずいと技術の限界、制約、つまり、夢の世界(あるいは恐ろしい世界)が来ない理由を滔々と述べる。門外漢は詳細が理解できないまま信じ込むか、派手なメディアの方に引きずられてしまう。
実は、技術者の専門分野というのは意外に狭い。そして、各専門分野はタコツボのように他から隔離されていることも多い。かなり近い分野と思っても、抽象的なレベルで近いのであって、技術の詳細については相互に門外漢である。技術者が自分の専門分野で限界、制約と思っていることが、ちょっと隣の専門分野で解決するかもしれない。それにより、大きなブレークスルーが起きるかもしれない。技術者はひょっとしたら夢を見ることを抑え過ぎてはいないか。より高いレベルで考えればSFみたいな世界は訪れないことは分るだろう。柔軟でかつ抑制の効いた「夢」を見ることができればよいのだ。
世の中では理系、文系くらいの精度で人を分類して、あの人は理系だから技術は分かっているはずだ、自分は文系だから理解できない、などと言っている。関西以西の人が茨城県を東北地方と思うのとよく似ている。かと言って技術の専門分野のタコツボに潜り込むのもおかしい。適度な距離感が柔軟でかつ抑制の効いた「夢」をもたらすのではないか。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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技術者は夢を見ることを抑えてはいないか
2018.04.08