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小学校で60年前に教わったこと


2018.04.01


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 最近の小学校の授業は私の時代(60年前)とはずいぶん変わったのだろうか。ダンスや英語の授業がある、くらいの知識しかないが、そろそろ孫が小学生になる時期に差し掛かり、気になってきた。

 私は茨城県の県北の公立の小学校を出ている。当時の授業は「読み書きそろばん」つまり、国語と算数の訓練が中心だったようには思うが、理科の自由研究や社会見学なども盛んにおこなわれていたし、学級の問題を話し合うこともよくあった。その30年後、私の子供たちの小学校時代は、自分の時代とそれほど違いはなかった。違っていたのは、1クラスの人数と給食の内容くらいだった。私の時代は1クラスに60人くらいいたこともある。給食はパサパサのパンと脱脂粉乳と野菜の煮つけみたいなもので、全く食欲が湧かなかった。

 小学校高学年のときの担任の先生は30歳くらいの女性で、非常に熱心な教育者であることが子供心にも感じられた。ある日の社会科の時間に小さなピンを持ってきて、1円でこのピンがどれだけ買えると思うか私達に尋ねた。大量に買えることは想像がついた。次に「あなたたちに1円あげるからピンを作ってくれと言われたら1本も作れないだろう?」と(当然ながら)茨城弁で言った。それが工業化、大量生産ということの意味なのだと私は大いに納得した。別の日には、「駅前の洋品店で1000円のスカートを売っても誰も買わないだろう?」と私達に言った。当時の1000円は子供には『大金』と同義であった。「でも、東京の銀座というところでは1000円のスカートが沢山売れている」。そのとき私は、物の値段がその物自体で決まるのではなく、買い手によって決まるのだということを強く認識した。

 私はその小学校では成績が良かったので、欲を出して、県庁所在地(水戸)にある国立大学の付属中学校に進みたいと思った。母が、担任の先生に「合格するでしょうか」と尋ねた。先生は「わかりません」ときっぱりと言った。その理由は、たしかに私はその小学校では成績が良いのだが、県庁所在地にはもっと頭のよい子が沢山いるかもしれない。その情報がないのだから合否については不明である、ということだった。これについても私は強く納得した。県庁所在地にも、さらには東京にも頭のいい人は沢山いて、そういう人たちとこれから競い合っていかなければならない、ということが良く分かったからである。

 小学生にとって学校の先生の影響力はかなり強い。同時に親の言葉も強い影響力を与える。その時は意味が不明でも後になって「なるほど、そういうことか」と気づき、その後の人生の糧になることもある。ある日、大正生まれの母が唐突に言った。「金持ちになりたかったら、人の嫌がる仕事をすることだ」。これは道徳的な意味合いで言ったのではない。なぜならその根拠が、自分の小学校の同級生で一番金持ちになったのは葬儀屋の息子だった、ということだったからである。それから数十年後、私は母の生まれた地域に隣接する地域に仕事で通うことになった。その時、立派な葬儀社の看板に母の同級生の姓が書かれているのを見て、母の言ったことが正しいと理解できた。今では座右の銘になっている。

 人生にとって大切な小学校時代、孫たちが良い学びができるように祈りたい。



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