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誰にでも愛される顔


2018.03.25


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 自分が好きな曲は何と聞かれたら、すぐに何曲か挙げることができる。それは、日を追って変わっていく。必ずしもその時に流行っていた歌とは限らない。多分、そのときの気分や季節などで決まるのだろう。同じように、好きな女性の顔というのもすぐ思い浮かべることができる。(ちなみに、私は男の人の顔にはあまり興味がない。)それがなぜか、NHKの朝ドラのヒロインばかりである。

 私自身、NHKの朝ドラを毎日観ているわけではない。土曜日にBSでまとめて観ることもできるが、ドラマ自体に興味が持てなくなるとそれもしなくなる。それでも、なぜか、どのドラマのヒロインの顔は好きなのである。ドラマが終わって、ヒロイン役の女優さんが別の番組やCMに出ているのを見ても、やはり「いいな」と思う。

 まず、ヒロイン役の女優さんが美人であるということは確かである。しかし、世の中にはもっと美人と言える人はいると思う。ただ、あまり美しすぎると却って観ている方が恥ずかしくなる。整っていて、かつ個性が強すぎないのが丁度よい。そういう顔なら毎日観ていて飽きない。それでいて、ドラマを観ていなくても印象は残っている。  このような「誰にでも愛される顔」の持ち主をどうやって見つけ出すのだろう。多くの候補者の中から見つけ出してくる人たちの目のつけどころはどこなのだろう。自分の好みだけで選べるはずはない。他の人たち、さらには万人にも好かれる、ということをどこで判断するのだろう。

 私の家のリビングには、孫の七五三の写真が飾ってある。孫は私にとっては誰より可愛いが、他の人にとってはただの幼児にすぎないはずだ。(世の中の人が皆うちの孫を可愛いと言うに違いない、と思うほど私は婆バカではない。)その後には、ミュシャのポスター「夢想」が掛けてある。この絵は展覧会の宣伝用のポスターとして駅のホームに貼ってあったのを見て一目ぼれし、ネットで検索して買ったものである。いくら眺めても飽きない。美しいと思う。でも「ものすごい美人」ではない。これこそ万人に愛される顔である。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」も同様である。オランダでこの絵を観て引き込まれ、土産物屋で絵皿を買って飾っている。これらの絵画の女性たちは、作者が美しい(好きだ)と思って描いたものが、結果として万人に愛されるようになったと思う。

 商品でもサービスでも、作った人が「好きだ」「素晴らしい」と思っても、市場のひとたちが同じように受け止めるわけではない。だから、せっかく良いものを作ったのに売れない、ということが起こる。一方で、ヒット商品のヒットの理由などを調べると、必ずのように「開発者のこだわり」というものが出てくる。

人の顔の好みも同様だろう。「美しい」「好きだ」と個人が思っても万人がそう思うとは言えない。だからこそ、NHKの朝ドラのヒロイン女優を見つけ出した人の目の付け所が気になって仕方がない。こだわりなのか勘なのか。おそらく理屈ではない何かだろう。その秘密がわかれば、売れる商品やサービスを生み出すヒントにつながるような気がする。



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