ここしばらく大きな出費が続いたので、節約をすることにした。まず食べるものである。野菜の高騰に対処すべく、もやしとキノコ類を多く食すことになった。勿論、野菜全般で捨てる部分は殆ど無くした。外食はせず、してもマックの100円のバーガーと100円のコーヒーだけである。着るものは、コートは昨年までのものを我慢して着て、その他もショップを眺めるだけでおなか一杯にして買わずに済ませた。しかし、こんなことをしても節約の額は多寡が知れている。冠婚葬祭、同窓会、古い仕事仲間達との会食があれば、自分だけ半分食べて安くしてもらうことなどできない。外との関係を無くさない限り節約などできないではないか。お金に関しては自分の裁量でいかなる使い方もできる状況にありながら、自分の努力ではどうにもならない使われ方の方がずっと多いのである。
大学を出てから四十数年働いてきた。労働時間が急激に増えたのは管理職(課長)になってからである。SE(システムエンジニア)だったから、顧客との交渉事が大半の仕事となった。社内の調整、部下への仕事の振り分け、指導などは他の社員に任せることができたが、社外との関係から生ずる仕事は時期も量も事前に把握が困難で、体力の限界まで働いた日々もあった。急な計画変更、仕様変更、キーマンの異動、会議予定変更、などなど、顧客の要求の前にはただ従う他なかった。今思えば、顧客の全ての要求に応えられるのが良いSEだと思い込まされていたのだ。
生活にしても仕事にしても自分の裁量でできることは、実はかなり少ないのではないか。既に計画されていること、予定されていること、その範囲が明確なこと、つまり「見えていること」でなければ自分の裁量で進めることはできない。一方で、物事は周囲との関係で大きく変動する。そこには自分には「見えていないこと」が多く存在し、自分の裁量では対処が難しい。それは関係者の範囲が広くなればなるほど増えていく。社長だって、株主、取引先、従業員のことを脇に置いて勝手なことはできない。自分の裁量でできるのは既に決まったことだけである。それは部下に任せれば良い。つまり自分の仕事ではなくなる。
こう考えていくと、自分の裁量でできることは、最終的にはロボットが行うことになるかもしれない。すると、残るのは自分の裁量ではできない「見えていないこと」になる。外部環境の変化、関係者との関係から生じる仕事である。コミュニケーションが大きな要素になっているので、個人で考えても無理であるし、一つの組織内でいくら検討してもよい策は見つからないだろう。組織間、企業間で同じ思いで検討を進めていかなければならない。
これからの働き方改革を進めていくためには、2つの対策が必要である。一つは、自分の裁量でできる仕事の範囲を増やして、最終的にはロボットにやらせることである。もう一つは自分の裁量でできない仕事をいかに効率的に行うかを、組織横断、企業間の壁を取り払って考え、対策を講じることである。
ところで、裁量労働って一体何だろう。世の中の動きはこれまで私の述べてきたことと矛盾しているように思えるのだが。ますます訳が分からなくなってきた
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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自分の裁量でできることは少ない
2018.03.11