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私はパラノイアなのか


2018.02.11


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 今年の1月下旬、大学での私の研究室の学生7人が卒業研究発表を行った。卒業研究はプレゼンテーションとA4サイズ2枚の梗概(短い論文)の提出で評価される。プレゼンテーションは、パワーポイントの資料を使って7分間で行う。その後2分間の質疑応答がある。残る1分で次の発表者の準備を完了させなければならない。短い時間で最高のパフォーマンスを出すためには、トラブルを極力避けなければならない。

 まず、発表会場がこれまでとは違う私の入ったことのないキャンパスで行われるという問題があった。これは大きなリスクをはらんでいる。発表者の交代ごとにパソコンとプロジェクターの繋ぎ変えをする際、トラブルになる恐れがある。そこで、プレゼンテーション用のパワーポイント資料の全員分を私のパソコンに入れ、それで全員の発表を行うことにした。しかし、私のパソコンに問題が生じるかもしれない。そこで、学生には自分のパソコンを持ってくるように伝えた。さらに、データのバックアップを取ることは勿論だが、パソコン自体も2台(ノート、タブレット)のうち接続トラブルを起こしたことのない方を選んだ。会場には1時間前に入り、パソコンとプロジェクターの接続を確認した。

 プレゼンテーションがうまく行えても、質疑応答で立ち往生してしまっては困る。問題は、研究室で学生が研究しているテーマ(ウエブユニバーサルデザイン、ビッグデータ、創造性理論)、およびそれで使われているツール類が、学内のどの教員にとってもなじみの薄いものである、ということである。これは、全く内容が伝わらず、想定外の質問を投げかけられる可能性をはらんでいる。勿論、発表者は梗概(短い論文)やプレゼン資料のコピーをフロアの人全員に配布しているのだが、それだけでは短い時間では伝わらない可能性が高い。そこで、質問をする教員の方々には、最もなじみの薄い「創造性理論TRIZ」で利用する矛盾マトリクスと発明の原理の説明資料を事前にお渡ししておいた。

 ここまで準備しても不安が残る。発表直前になってひとつのアイディアを思いついた。発表の際の司会は指導した教員が行うことになっている。これまでは、発表者とタイトルを言って発表を促すだけだったが、そこに一言、チャレンジしたこと、苦労した点などを付け加えるようにしたのである。こうして発表は滞りなく進み、発表内容が聴いている人に伝わったかは疑問だが、温かい雰囲気で終了することができた。

 最近、「パラノイアだけが生き残る」アンドリュー・S・グローブ著、日経BP社 という本を読んだ。当初、パラノイアという言葉を、偏執症や妄想のある精神病と捉えていたのだが、どうも「ひどい心配性」に対しても言うらしい。とすれば私はパラノイアなのか。そうであれば、グローブさんによれば私は生き残れるということになる。

 その後、私は立て続けに2つの「重要な会議への遅刻」をしてしまった。一つは全くのミスで、開始時刻変更の通知を見忘れたというものである。もう一つは、遠隔地での会議で、移動の新幹線が雪の影響で遅れることを予測できなかったことによるものである。私はパラノイアどころか心配性ですらないような気がしてきた。



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