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50年前の専門書


2018.01.21


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 朝3時半に目覚ましが鳴り、4時前に起きるという生活を続けているが、休日だけは目覚まし時計を止めている。そんな休日の朝、寝床からぼんやりと古い本棚を眺めていた。ぎっしりと並ぶ飴色の本。よく見ると飴色の函入りである。「解析概論」「位相幾何学」「連続群論」「確率論」「ブルバキ数学原論」シリーズ、等々、すべて数学の本である。その他にも包装紙でカバーをした本が何冊もある。合わせると数十冊になるだろう。

 私の大学での専門は数学だった。学部卒で、卒業と同時に就職した。それ以降、数学とは無縁である。本来なら、学部卒であっても2年間の教養学部、2年間の専門学部で学ぶことができるのだが、私が入学してすぐに学園紛争で大学がロックアウトされてしまったため、実質、半分も通常の授業を受けてはいない。だから、こんなに沢山の専門書を集めても読む機会はほぼ無かったに等しい、などと思ってそのうちの1冊を取り出してみた。驚いたことに、中には短冊に切った紙が至る所に挟み込んであり、各ページにもぎっしりと書き込みがされている。函も一部破れていた。50年前の私はこんな難しいものを読んでいたのか。

 大学生のときには主として高校生に数学を教える家庭教師のアルバイトをしていた。アルバイトで得たお金は全て数学の専門書に変わった。いつかきっと読もうと思いながら50年が過ぎ、飴色に変わっただけの本もある。でも、決して買うことが目的だったわけではない。本当に読んで理解したい、という気持ちが強かった。

 正直なところ、大学時代、私は本当によく勉強していたと思う。授業の無い時は図書室にこもっていた。勉強しなければ卒業できなかった。本来4年でやることを2年でやらなければならなかった、ということもその理由だが、実力以上の学部・学科に進学してしまったからという方が当たっているかもしれない。勉強することは嫌ではなかった。むしろ、もっともっと勉強したいと思っていた。しかし、実力が無かったので上に進むことはできなかった。そこで、勉強は就職してから仕事の中ですればよい、と気持ちを切り替えたのである。その結果、勉強する内容はこれらの本からかけ離れたものとなった。大学での学びと世の中に出て働いている間の学びは別物なのである。

 50年前、大学に進学することのできる人は限られていた。それは成績よりも経済的な理由の方が大きかったと思う。さらに、女子に学歴があると結婚できない、という世間の思い込みもあった。だから、進学できたことは幸運であり、大学に通えることは大変な贅沢だったのである。だからこそ学ぶということを大切にしていたように思う。学ぶことに貪欲になる時代はその後の人生にとっても貴重である。今の学生には、もっと貪欲に学んで欲しい。大学が職業訓練の場になってしまうのは寂しい限りである。

 50年前に買ったあの飴色の本たちは、私に読んで欲しいと思っているだろうか。そうしたい気持ちは無いわけではないが、今の私の頭では無理のような気がする。まずは高校の数学からやり直しかもしれない。何より、あの貪欲さを取り戻すすべを考えなければならない。



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