お正月の風物詩と言えば福袋(に群がる女性たちの姿)である。私自身はもう何年も福袋には手を出さないようにしている。洋服関連に限れば10年以上になるだろう。理由は、確かに安く良いものが沢山入っているが、大半は着ないで終わるからである。捨てるのがもったいないので保管してあるが、10年前に着られなかった派手な服がこれから着られるはずもない。収納場所はもう無い。思い切った断捨離の日を待つばかりである。
10年以上前なら福袋を数個以上も抱えている人をよく見かけたものだが、最近はあまり見かけなくなった。皆、賢く冷静になり、よほどの貴重な品物でないと手を出さないようになったのだろう。しかし、今年は様相が少し変わったようである。テレビのニュースや、家族の「福袋争奪戦」の話を聞くと、「いっぱい買って幸せ感を味わいたい」時代にまた戻りつつあるのかな、と思わせられる。
福袋を沢山抱えたくなる気持ちは、景気上昇が実感できてきていることと関連しているのではないか。ボーナスの無い(しかも大学の仕事がフルタイムになっていて技術士事務所の収入が殆ど無い)私にとっては景気などあまり関係ないのだが、多くの勤め人は、何かしら感じているのだろう。何が入っているんだろうか、どれくらい得したのだろうか、と期待に胸膨らませて帰宅するのは、これ以上ない程の幸せである。それが「去年あれだけがんばったのだから自分へのご褒美だ」と考えられるためには、やはりそれなりのゆとりのお金が必要である。景気回復は実感レベルまで来たのかもしれない。
さてこれからが問題だ。限られた住空間に収納できる物の量は限られているはずである。最近建築された家(部屋)は収納スペースが大きく取られているが、家(部屋)自体が狭いので入れられる量はやはり限られる。不用品を捨てない限りゴミ屋敷になりかねない。意志を持って捨てるにせよ、ゴミ屋敷化して強制的に捨てざるを得なくなるにせよ、あふれたものは捨てられる。景気が良くなれば、捨てるものが増えるはずである。景気とゴミの量の相関を分析した研究はないだろうか。
さて、福袋に手を出さなくなった私であるが、やはり定期的に衣類は捨てている。私が買う衣料品は格安なものが多い。意識してそうしている面もある。つまり、その年に着たら次の年には大半を捨てるのである。理由は、セーターなら毛玉ができる、その他の衣料品なら、形が崩れる、汚れが取れない、シミが目立つなどなど。そして新しいものを買う。形や色はおしゃれで格安のものを選び、その年に着つぶしてしまう。タンスの肥やしにするのは、一生に一度か二度しか着ない礼装の和服だけである。これだって、現代ならレンタルで済ませられるものなのだ。
自分にはあまり実感できなくとも、景気が上昇している様子が見られるのは嬉しい。それに、他人が爆買いを見るのは結構楽しい。それは爆食番組を見て楽しむのにも似ている。私は爆食番組が大好きである。爆食女王が食べているのを見て自分もおなかがいっぱいになり「ご馳走様」と言いたくなる。その後のことは考えないようにしている。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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景気が良くなれば捨てるものが増える
2018.01.07