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過去の常識からの解放で得られる満足


2017.12.03


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 65歳まで創業100年を超える大手の企業に勤めていた。私の所属していた部門は歴史が浅かったので比較的自由に仕事の仕方を変えることができたが、大きな仕組みは伝統にのっとったものとなり、それに染まることが組織の一員であることの証であるような雰囲気はあった。男性の場合は、地位が上がるとまずは先輩、上司の振る舞いを真似することでマネジメントやリーダーシップを身に着ける傾向にあった。私自身は女性であることから組織の中では異端者と見なされており、真似る対象もなかったので、周りから小突かれながら自分のやり方を試行錯誤しつつ決めていた。今思えば、それは却って良かった。常識から解放された自由な立場だったことで得たものが多かったからである。

 冠婚葬祭の例でもわかる通り、世の中には様々なしきたりがあり、それに従わなければならないとされている。かつては、しきたりが分からなければ、目上の人、年長者に聞き、その通りやっていればよかった。しかし、最近はしきたりと言うものも変化しており、大筋では守らなければならないことは分かっていても、細かい所では誰も分からないというところが多々出て来ている。教えてくれる人がいないので自分で考えて行動しなければならないことが増えているのである。一見大変そうだが、これは物事の本質を捉えて、最もよい振る舞いを選べる非常に良い機会と言える。他人の目を気にしなくてよい分、実は楽になっているのではないだろうか。

 2年前に夫がガンで急死した。遠隔地に住む高齢の義兄、義姉には、年の離れた弟の死をいかに伝えるかに心を砕き、葬儀やその後のことなど相談することなどできなかった。そこで、故人が何を望んでいたか、どうすればそれが叶えられるか、残された者たちはそれぞれどうすれば心安らかに故人とお別れすることができるか、を一から考え、葬儀の手配をした。さらに、故人の思い出を消すことのないよう、現在は別々の場所に住んでいる家族の誰もがお参りしやすい場所にお墓を買った。毎月、命日には墓参りを欠かしていない。自分で納得して決めたので、ひとつの悔いもない。幸い、誰からも不満の声は出なかった。

 過去の常識は急速に変化しており、無くなっていくものも多い。その時こそ、当事者は、本当にあるべき姿を考えて、それにのっとったやり方を見つけ出さなければならない。それは過去の常識からの解放であり、実現すれば大きな満足が得られるはずである。過去の常識に頼る、周りの空気を読んで大勢に従うことは、楽なようだが、大きな弊害も生む。おかしいと思っていても上司がやっているから、とそのままにしていれば、ストレスで心や体に変調を来す結果になりかねない。自分の思考を止めて前例に従うだけの仕事を続けていれば創造性も失われる。上司や先輩の振る舞いを疑うことなくうのみにして真似することを良しとする企業文化は不祥事を生み出して潜伏させる原因ともなりかねない。

 もちろん過去の良いものは取り入れる柔軟性は必要であるが、過去の栄光や遺産にしがみつくのではなく、物事の本質を捉えてゼロベースで問題解決をすることが新たな価値創造に結びつく。長いものに巻かれる方が楽と言う時代は終わった。



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