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春と秋の違いに時代の変化を重ねる


2017.10.01


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 一番好きな季節は何かと問われたら、私なら迷わず春と答える。秋は夏や冬よりは好きだが春には敵わない。秋は日に日に日が短くなるからである。これが終末を感じさせる。

 一年を通して毎朝3時45分に起床する。まず血圧を測り、そして朝食を取る。出かけられる準備を整える頃に朝刊が届く。日経新聞と読売新聞を読むと5時半になる。通勤時間は片道3時間なので、8時半に大学に着く。9月になれば、新聞を取りに行く時点で真っ暗である。もちろん帰宅時も真っ暗である。庭の様子が見られるのは週末だけとなる。これが寂しさを感じさせる。

 春であっても暗さは同じなのである。しかし、日に日に明るい時間が増してくる、という感覚と、日に日に明るい時間が減ってくるという感覚には大きな差がある。私の場合、それは体の変化となって現れる。春は、冬の間高かった血圧が下がってくる。薬が減らせる、無しになるかもしれない、という期待につながる。逆に、秋は血圧が上がってくる不安がつきまとう。また薬に頼らなければならないのか、と暗い気持ちになる。

 NHK朝ドラの「ひよっこ」を毎週楽しみにしてきた。土曜日の午前中、BSで1週間分をまとめて観るのである。主人公と私は2歳違いという設定である。丁度このドラマの時期は私にとって茨城(水戸)の高校時代から東京の予備校時代までに当たる。この時代こそ春に相当する。戦争を知らない世代でも両親や祖父母の言葉の端々に悲惨な経験を伝え聞き、想像することはできた。それこそが冬の時代だろう。しかしその後は、食べたことのないものへの憧れ、行ったことのない所(特に海外)への憧れ、様々な憧れで満ち溢れた世界になった。そしてそれらは実際に手に入った。勤めに出てからは年々給料が上がり、労働組合の企画で同僚たちと初の海外旅行(グアム)を経験すると、半年後には一人で憧れのパリに旅した。子供の頃に絶対無理だと思っていたことが実現すれば、当然、その先にはもっと想像もつかない未来があるのではないか、と期待する。それが春の感覚である。

 現代はどうだろうか。「ひよっこ」の時代と比べれば豊かになっている。美味しいものは比べ物にならないくらいあふれているし、手が届く。毎日風呂に入り、シャンプーをし、清潔な暮らしをしている。(あの当時、銭湯に週何回行けただろうか。除菌グッズに囲まれながら生きる我々はもうあの時代には戻れっこないだろう。)しかし、なぜか現代人は、想像もつかない明るい未来など信じていない。技術の進歩も「人工知能に仕事が奪われる」という暗い未来を想像させてしまう。冷蔵庫や洗濯機や掃除機が家に届いたときの歓声は、技術の進歩が生活を楽にしてくれる、と信じていたからこそ上げられたものなのに。まさに現代は冬の訪れを恐れる秋の時代ではないか。

 もう一度春を取り戻せないだろうか。私は時々明るい未来を想像する。仕事はロボットがやってくれて、人間はその恩恵を受けるだけ。つらい通勤も必要なし。旅行に行けなくなっても仮想空間でどこの国のどこの地域にも行ける。長生きしても飽きることもない。ただし、働かなくてもよくなったときに生き甲斐をどこに見つけるかが問題だ。



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