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受身からの脱却にはエネルギーがいる


2026.1.18


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 時々、企業に勤めていた頃の「組織の掛け声」を思い出す。例えば、「リアクティブからプロアクティブへ」と盛んに言われていたのはいつだっただろうか。仕事をする上では、言われたことだけを粛々とこなすのではなく、自分から積極的に仕事を開拓せよ、ということか。あるいは、現在の仕事の先を読んで、新たな仕事を作り出せということか。私自身の50年以上の仕事人生を振り返ると、来た仕事を何とかこなしていただけのようにも思える。それでも、IT業界は進歩が速かったので、来た仕事は殆どの場合、初めてのものだった。日々の学びは必須だった。残念ながら、技術の進歩についていくのが精いっぱいだったが。  フリー(自営業)になった現在は、待っていても何も来ない。つまりリアクティブは無い。となれば、プロアクティブにならざるを得ない。しかし、企業が40年以上、加えて大学が10年に及ぶ勤め人生活が続いていた身には、それは簡単なことではない。しかも、後期高齢者になっているので、私自身の市場価値は低下している。さてどうしようか。

 私が今年やろうとしているのは2種類のことである。一つは(今までやったことのない)新しいことに挑戦する、もう一つは新しいコミュニティに入ることである。いずれも、エネルギーを要する。まず、新たに学ばなければならないことが多い。経験したことのないトラブルに見舞われることも予想される。健康上の問題、体力の衰え、も避けられない。それらをはねのけて先に進むことなどできるだろうか、と足がすくむ。しかし、進まなければならない。なぜなら、高齢者にとって、人生は下りのエスカレーターである。それに逆らって上り続けなければ、その先には奈落の底しかないのだから。

 何だか後ろ向きの話になりそうなので、切り替えよう。不安に押しつぶされそうになりながら新たなことに挑戦した先には、バラ色の世界が待っている。不安を感じることは生きている証拠なのだ。辛ければ辛いほど「やり遂げた感」は大きいではないか。例えば、2024年秋のサンフランシスコとシリコンバレーの訪問と、2025年秋のインドのベンガルールの訪問を比較すると、後者の方が数倍きつかった。しかし、得られた満足感は数倍大きかった。もっと自分を追い込んでもよいのではないか、と思わせる経験であった。

 高齢者に大切なものとして、「きょういく」「きょうよう」がよく言われている。「今日、行くところがある」「今日、用事がある」である。3番目については、人によって違うかもしれない。私は「きょうしょく」つまり、「今日、食欲がある」を挙げたい。私にとって、食べることは生きること、生きることは食べること、である。朝起きた時、お腹が空いていて朝食が楽しみなら、その日は一日頑張れる。そのためには、夕食時に暴飲暴食をしないことである。また、昼食、夕食を美味しく食べるためには、運動をしてお腹を空かせる必要がある。頭を使うのも食欲を増進させる。つまりは、用事があって、行くところがあれば、食欲も出てくるということだ。

 「用事」も「行くところ」も受身では見つからない。不安に押しつぶされそうになっても新しいことに挑戦するしかない。やり遂げた先には美味しいご飯が待っている。

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