Suicaのペンギンが消える、と聞いてショックだった。ペンギンという鳥に思い入れがあるわけではなく、Suicaのキャラクターが変わったからと言って生活が変わるわけでもないのに、寂しさは拭えない。パンダが日本から居なくなるかもしれないと聞いて、何とかならないのか、と思う。同じように、私たちはクマに特別な親しみを持って過ごしてきた。テディベアやプーさんやくまモンに感じているように。童謡の中の優しいクマさんのように。でも、ペンギンやパンダやクマにとってはそんなことは関係ない。人間が勝手に親しみを持っているだけなのだ。生き物としての動物、特に野生動物は、我々がイメージしているキャラクターとは別物であるということに、改めて気づくべき時が来ている。
現在の地球では、たまたま人間が支配しているけれど、それは長い地球の歴史の中ではごく一瞬にすぎない。しかし、私たちはそれを忘れている。最初から人間が上位に位置し、その他の生き物は「手なずけられるもの」と思い込んでいるのではないか。「可愛い」と思う気持ち、「動物愛護」の精神は尊重されるべきであるが、それらは人間の勝手な思い込みであり、支配者の思い上がりに過ぎないのではないか。
地球に暮らす無数の生き物たちは、できるだけ自分たちが多く繁殖し、生息できる環境を広げるべく戦い続けている。過去も現在も未来も。生きるのに必要な食物が不足すれば、それを得られる場所を求めて動き回る。命の危険を感じれば、当然戦うことになる。相手が人間であっても同じである。そして忘れてはならないのは、人間もまた生き物であるということである。他の生き物と同じように、生きていくためにはあらゆることをする。当然、他の生き物の命を奪って食し、自分の命を脅かす存在は排除しなければならない。
全国でクマによる人身被害、作物の被害が多発している。その現場にいる人たちにとっては命の危機にさらされているとしか言えない。だから、命を懸けてクマの駆除をしなければならない。そうしなければ生きる場所まで失ってしまう。地球上の戦いは現在も継続している。勝たなければ人間は地球上における現在の地位を失う。しかし、まだ命の危険にさらされていない人の中には、クマの駆除を非難する人もいると聞く。「動物愛護」がよく持ち出されるが、生きるための戦いのさなかにその言葉を持ち出すのは筋違いではないか。
人間は、生き物の中で最も脳が発達していて賢い。であるからこそ、知識や技術を習得して活用することで地球を支配できるようになった。しかし、人間は完璧な生き物ではない。やりすぎもあれば、バランスを崩すこともある。その結果、環境を破壊し、自分たちの首を絞めてしまう。野生動物との戦いが激化しているのもその影響だろう。ここは十分に反省し、 必要に応じた軌道修正をしなければならない。
これからさらに野生動物は我々の生活圏内に入ってくることだろう。ここは何とか人間の知恵を出し合って、平和的に共存できる道を探さなければならない。うまくテリトリーを分け合うことは必要である。人口が減少していく日本などは、人間の生きる場所を減らして、野生動物に生きる場所を提供することも必要かもしれない。極論ではあるが。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)

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人間も同じ生き物なのだ
2025.11.23

