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よいコミュニケーションの取り方は様々


2025.11.9


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 その日は三連休の初日で、地下鉄はとても混んでいた。何とか滑り込んで、人の隙間から手摺を掴むことができた。優先席の3人掛けの席に、小さな子供が2人と家族ではない大人が座っていて、その間に座れそうなスペースがあるのが見えた。子供たちの父親と思しき大柄の男性は座らずにその前に立っていた。すると、一人の女性が優先席に近づいて行くのが見えた。赤いヘルプマークのタグを付けている。明らかに座りたくてそのスペースを目指してきたようだった。しかし、男性に声をかけることができない。周りの人もスマホに夢中で気づかない。離れた所にいた私は、その男性に声をかけようか迷った。そのとき、男性がこちらの方向に体の向きを変えた。思わず、「後ろの方が・・・」と声をかけた。男性は後を振り向いて、ヘルプマークを付けた女性に気づいた。私は、子供たちに「ちょっとずれたら座れるわね」と声をかけた。女性は、助かったという表情で、私にお礼を言ってくれた。かすれた声と表情から、本当に体がきつくて座りたかったのだと分かった。

 せっかく子供たちとレジャーに出かけようとしているのに、あの家族には朝から不愉快な思いをさせてしまったのではないか。ほっとしたと同時に、どうしてもそれが気になってならなかった。相手に不快な思いをさせずに言いたいことを伝える、というコミュニケーションの難しさを実感したひと時だった。

 高市首相の外交が話題になっている。私は、上手なコミュニケーションができていると感心している。まさに、相手に良い印象を与えつつ、言いたいことを伝えるということを実践しているからである。笑顔も含めて計算し尽くされた振る舞いかもしれないが、過去の多くの総理大臣は外交においてそこまでできなかった。一方で、このコミュニケーションに「やりすぎ」「媚びている」といった批判的な声も聞こえる。本当に難しい。

 私自身は高市首相のようなコミュニケーションは苦手である。初対面の人にはなかなか話しかけられない。もしもそれが出来たらもっと出世していただろう。それでも長年ビジネスをやって来られたのは、お酒好きでお酒で勢いをつけられたからに他ならない。 一方で、コミュニケーションの失敗はかなりある。親兄弟、家族、ご近所さん、ママ友などなど。いまだに「あんなことを言わなければよかった」と思い返しては胸が苦しくなる。ところが、年齢を重ねるうちに失敗が殆ど無くなってきた。何故だろう。コミュニケーションの失敗は、ほぼ、近しい人たちとの間で起きることに気づいたからである。そこで、たとえ家族であっても相手との間に距離を置く、ということを徹底するようになったのである。

 私の信条は、「相手が自ら言わないことは決して詮索しない」と言うことである。相手が言わない理由は2つしかない。『言いたくない』か『言うのを忘れるくらいどうでもいい』かである。いずれも聞く必要はない。もちろんこちらも言いたくないことは言わない。それによって、いわゆる「近しい人」はいなくなるかもしれない。それでもいいではないか。

 離れた所でそっと見守って、いざというときに本当に相手に伝えるべきことを伝えられる。それが、私の残された人生のコミュニケーションの目標になるかもしれない。

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