事例研究というものは大学の講義、社会人のためのセミナーなどで多く行われている。私も複数の科目で、様々な事例を紹介し、それについて考えさせる講義を行っている。事例には大きく分けて「成功事例」と「失敗事例」がある。前者は、難しい問題を解決したり、収益の悪い事業の収益を改善したり、ベンチャー企業が世界に名だたる大企業に成長したり、というものである。後者はその反対で、大きな製品事故を起こしてブランドイメージが失墜してしまったり、経営者が不正を起こして会社が傾いてしまったり、といったものである。
いずれの事例であっても、学ぶべき部分が多く存在することは事実である。ただし、それには受け止め手が「そこから何かを学び、将来に役立てたい」という意欲をもつことが必要になってくる。これはなかなか難しい。例えば、単位が欲しくて漫然と大学の講義を受けている学生や、会社から言われてセミナーに参加している会社員にはちょっと無理な要求のように思える。そのような場合でも、「成功事例」と「失敗事例」の受け止め方には差が出る。前者は左の耳から入って右の耳から抜けてしまうことが多いのに対して、後者はダメな理由を自分で探し出そうとする態度が見えるのである。
私の講義の例を挙げると、情報システムの成功事例を紹介する科目では学生のノリが悪いのに対して、事故や事件を取り上げる技術者倫理の講義では、レポートを書かせるとびっしりと自分の意見を書いてくる学生が多いのである。つまり、事実を批判的に見ることによって「自分ならどうするのか」を深く考えるようになっている様子が見える。
さて、世の中で行われている講演やセミナーでは、成功事例を紹介してそこから学びを得させることが目的のものが多いように思う。講師が憧れの有名人であれば、その一挙手一投足が聞き手の胸にささるかもしれないが、そうでない場合はかなり難しい。特に今困っていること(お金が欲しい、保育園に子供をどうしても入れたい、痩せたい、など)を解決するやり方を教えてくれるハウツーもののセミナーでなければ、がっかりして帰ることが多いのではないか。私も何年か前に女性の働き方的な講演をすることがあったが、有名でもなく、大きな仕事を成し遂げたわけでもなく、ただ定年まで働き続けた女性の話など、あまり役には立たなかっただろう。
そこで最初の話に戻る。批判的に聞くことによって「自分ならそんなことは絶対にしない」「もしかしたら自分でも不正を見逃してしまうかもしれない」などと考えることができるのであれば、成功事例の紹介や有名でない人の講演でも、批判的に聞いてみる(つっこんでみる)のはどうだろう。もちろんその後に「自分ならこうする」を考えるのである。現在は成功事例であっても時代が変われば失敗事例に変わる可能性もある。成功事例を批判的に聞くことで、別の選択肢を選ぶとして自分であったらどう問題を解決するだろうか、という新しい考察ができる。そこから成功事例の真似ではない新しい道(解決策)を発見できるかもしれない。つっこみどころは結構多い。やってみる価値はある。
自分の信念に従って行動する「高い志を持つ、市場価値の高い技術者」を育成します。
「市場価値の高い技術者の育成」を目指して、
コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
トップページ > コラム
批判的に聞けば何かが得られる
2017.09.03