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試練と思って対峙するのか受け入れて折り合いをつけるのか


2017.07.23


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 1か月前に腸閉塞を起こして入院した。2日間の気を失いそうなほどの痛みを経て開腹手術をし、地獄の苦しみから逃れることができた。幸い手術後の経過は良く、11日間で退院した。その間、痛みに耐えながら、ベッドの上でスマホを使って大学の講義の休講と補講の手配をし、ゼミの学生に連絡を取った。11日間の穴は夏休み前に埋めなければならない。もう1日たりとも休めない状況での退院だった。

 しかし、試練はそれからだった。ベッドから降りてみると、左脚に力が入らない。手すりを使ってよろよろ歩くのがやっとである。最初の2日間全く同じ姿勢で痛みに耐えていたため、腓骨神経が麻痺してしまったとのことだった。困った。大学に行くには往復6時間の通勤が必要なのである。どう考えても無理である。しかし大学は休めない。そこで、大学に連絡を取り、キャンパス内のゲストルームに1週間宿泊させてもらえるよう交渉した。退院した次の日、大量の病人食と着替えと杖を持ち、家族の車で数時間かけて大学に送ってもらった。

 最初の1週間は通勤がないので杖にすがって講義とゼミの指導をするだけで良かった。しかし、次の週からは往復6時間の通勤をしなければならなかった。グリーン車を利用することで列車内は座って行ける。しかし、家からバス停まで、駅の乗り換え、駅から大学までは歩くしかない。まなじりを決し、歯を食いしばって杖にすがって必死で歩いた。悪いことに、力の入らない左脚をかばって歩いたために腰まで痛めてしまった。もう泣きたくなるほどのつらさだった。企業を定年退職して大学に職を得て初めて、仕事を辞めたいと思った。

 2年前にも試練の時はあった。同じ夏の頃、夫がガンを患い体調を崩して3か月、ガンであることが発覚して3週間で亡くなってしまったときである。その時も往復6時間の通勤をしながら看病し、看取り、そして葬儀を行った。その時講義を休講にしたのは、亡くなった当日だけだった。あとは大学から携帯電話で親戚や葬儀社との連絡を行い、講義の無い日に葬儀を行った。その頃考えていたのは、「これは自分に与えられた試練である。それを乗り越えられれば自分はさらに成長できるはずだ。」ということだった。そして、全てが終わった時、大きな安ど感と達成感を味わった。(夫を亡くしたのに冷たいと思われるかもしれない)

 しかし、今回は全くそのような感覚はなかった。試練と思って対峙する気持ちなど全くなく、ただただ体がつらい、助けてほしい、と思うだけである。その結果、全てを受け入れることにした。もう無理はしない。自分の弱さを知り、それとうまくつきあいながら仕事を続けていくしかない。6時間通勤を自慢するなどとんでもない。大学が夏休みに入ったら整形外科に行って治療してもらおう。

 試練と思って対峙するのか受け入れて折り合いをつけるのか、の違いはどこにあるのだろうか。結論は出ていないが、これからは受け入れるしかないことが多いかもしれない。



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