パソコンを使っていたりスマホを見ているときに、何かアイディアが湧き出たり、頭の中が整理されたりすることはまずない。もう何十年も仕事や勉強でIT機器を使ってきたが、調べたり、記録したり、他者に説明するための資料を作成したりすることの効率を上げる道具であるとしか思えなかった。
何かを生み出すためには別の方法を取る。例えば、コラムのテーマや内容が思いつかなかった時、悩み事の解決策を見つけようとする時は、すぐそばにある紙にペンで思いつくことを書きまくる。すると不思議なことに、アイディアが湧き出してきて、次第にそれがまとまって来る。昔、会議中にいたずら書きをしている人がいたが、あれは暇つぶしではなくアイディアを出そうとしていたのかもしれない。
ウォーキングも大きな力を発揮する。私は2時間以上歩き続けることが多い。歩くうちに次々と色々な言葉や映像が浮かんでくる。妄想に近い物語(フィクション)のようなものである。思考は様々なところに飛び、忘れていたことを思い出したり、さらにより詳細なところまで考えが及んだりする。そこから思いもよらない考えに辿り着いたりする。歩いているときに浮かぶものは不思議とポジティブである。他人や世の中に対する憎しみや恨みや不満などは出てこない。これは、歩くことが体を前に押し出す行動だからかもしれない。
歩いている間にぶつぶつと独り言が出てくることもある。多分、思いついたことが自然に外にでてしまうのだろう。あるいは、自分自身の中に2人の人間を作り出し、双方で意見を交換し合っているのかもしれない。言葉はコミュニケーションの手段であると同時に、思考の整理の手段でもある。私の場合は、当然ながら考えているときは日本語しか出てこない。
脳の働きには体全体が関わっている、つまり人間の体全体は切り離せない関連を持っていると私は信じている。脳の働きの中でも思考は、手、足、口(喉)と連携している、としか考えられない。であれば、人工知能(AI)と人間の脳を同レベルで捉えるわけにはいかない。確かに、AIは多くの知識を持ち、分析し、整理して高速で結果を出す力はある。しかし、手、足、口の感覚から何かを生み出すことはできない。例えば未来について語るとして、AIは過去の知識から得られる、現在の延長線上にあるものしか出せないのではないか。でも人間なら過去から現在の延長線上にはない何かを見つけ出すことができるように思う。
ところで、思考を助けるのには道具も重要である。私の場合、書くときのペンは決まって「消せるボールペン」である。これは正式な文書には使えない。黒にするとうっかり間違えて使う恐れがあるのでブルーのインクを使っている。この色も私にとっては前向きに物を考える手助けになっているかもしれない。
シューズはウォーキング専用のものである。2時間半歩いても疲れない。ちょっと高価だが、ほぼ1年で履きつぶす。ウォーキングをさぼりたいと思う日も多いが、このシューズを履くと「さあ、行くぞ」と自然に体が前に出る。外での独り言は他人に聞こえないように小さな声でするようにしている。でも、怪しい婆さんだと思われているに違いない。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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ペンとシューズと独り言
2024.3.24