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私に時空を超えさせてくれるもの


2024.3.17


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 ふとしたきっかけで、「これこそ自分が求めていたものだ」と気づくことがある。まさにそれが、最近出会ったポルトガルの音楽『ファド』である。アマリア・ロドリゲスの歌を聴くことが一日の終わりの儀式の様になっている。ファドは、胸を締め付け、さらに何かを叫びつつ解放するような感覚をもたらす。70年前の子供の頃ラジオから流れていた演歌や歌謡曲のようでもあり、懐かしさも感じさせる。

 意外なことに、ファドは古い民族音楽ではなく19世紀に始まったもので、そのルーツはブラジルで働いていたアフリカ人奴隷の音楽だということである。それが、ポルトガルに伝わり、ヨーロッパ、そして世界に広がったのだろう。さらに、20世紀の日本の歌謡曲にも大きな影響を与えたのだ。人類共通の何か心の奥に響くものを持っているに違いない。

 私が多言語を習得する活動を始めて2年になろうとしている。毎日、様々な言語の音源を浴びているうちに、どの言語にも同じように親しみを覚え、何となく分かるような気がするようになった。しかし、今のままでは一生しゃべれるレベルにはならないな、という確信に近い感覚を持つようにもなっている。いずれは何か一つの言語に絞って本格的に学ぶ必要があるのではないか。そう思ったときに浮かんだのがポルトガル語だった。

 「方言は地球規模だ(2024/2/18)」で書いたように、アフリカで広く使われているスワヒリ語の『ピリピリ(辛い)』がポルトガル人を通じてヨーロッパそして日本にも伝わり、今も『ピリ辛』などと使われている。ブラジルのポルトガル語はポルトガルのそれとは異なる様である。さらに言えば、大航海時代に世界を席巻した繁栄からその後の衰退までの歴史にも興味がある。ポルトガルの影響力は時空を超えて大きい。そこには媒体としてのポルトガル語がある。これを極めてみたい。

 ファドをきっかけとしてポルトガル語へと関心の幅が広がったわけだが、実は同じような経験を35年前にしている。それは、ソウルでオリンピックのあった次の年の1月、初めて韓国旅行をしたときのことである。当時のソウルは、オリンピック効果で空港もホテルもデパートも全てが豪華に輝いていた。しかし私は、風邪をひいたのか初日からひどい吐き気と悪寒に襲われ、焼肉の夕食に向かう仲間と別れてホテルに戻った。ベッドに潜り込んでテレビを付けたところ、歌謡番組をやっていた。現代とは違い、中年の歌手が切々と歌い上げる韓国の歌謡曲は日本のそれとそっくりだった。言葉の意味は分からなかったが涙が止まらなかった。もしかしたら、私の祖先は韓国からやってきたのかもしれない、とすら思った。私が韓流ドラマにはまったのはその十数年後、ハングルを学んだのはさらにその10年後である。韓流ドラマやK-popをきっかけに韓国語を学ぼうとする人は多い。ひょっとしたら、時空を超えて自分のルーツを見いだすための重要なカギを握っているものだと感じているからではないか。

 ポルトガル語の学びとファドの調べが相まって、時空を超えた旅はさらに深まることだろう。本当はファドが歌いたいのだが、喉をかなり鍛えなければ無理だな。

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