この10年間、数多くの技術的な論文やレポートを読んできた。学生のレポートだけでなく、若手の技術者による技術開発に関する論文もかなり読んだ。その内容が年々質を上げていることに驚かされる。かつては、業務報告書のような味気ないものも多かったが、現在は、情報の収集と分析、考察、仮説検証、将来への方向性の示唆など、いずれの点でも驚かされるものが多い。しかもその表現力、文章力もかなり高い。読み手の私としては、勉強になったと感謝することもしばしばである。
テレビのニュースショーなどにも多くの20歳代から40歳代までの若い人がコメンテータとして出ているが、はっきり言って年齢の高い人よりもずっと情報収集力、分析力が高く、しかもその話し方は聴き手である(高齢者の)私にとって分かりやすい。それにひきかえ、渡された原稿を間違えずにゆっくり読むことだけに注力しているような政治家にはいら立ちしか覚えない。自分の言葉で、もっと的確かつ簡潔に話せないものか。まして、公の場で受けを狙っていつの時代かと思わせられる(本音の)発言をポロリともらしてしまう高齢有名人には、本当に困ったものだ。
今から40年、50年前、私がまだ若手だった頃には、若い人の発言の場はかなり制約されていた。「××のくせに口を出すな」といつも発言を止められた。××に当たるのは、「女」「若造」「ヒラ」「学生」などである。社会で生きていくためには、年長者、上役、親の前では口を閉じ、ひたすら年齢が上がるのを待つしかなかった。当然ながら、発信する力はつかず、一方でストレスばかりが溜まった。私が大学入学前後に盛んだった学生運動や若者のテロ活動もその反動ではなかったかと思う。
時代は変わり、年長者と若い人の立場は逆転しつつある。その大きな要因は、情報収集力と発信の場の拡大である。その基盤にあるのがIT(情報技術)であることは言うまでもない。情報量が格段に上がっているのは勿論だが、そこから必要な情報だけを効率よく集めなければならない。さらに、発信するとなれば、短い言葉で的確に伝えなければならないので表現力も必要となる。人間の能力だけでは限界がある。そこにIT、さらには生成AIという高性能の武器が登場した。ITを使いこなせる若者とできない年長者との間に差がつくのは当然である。情報過多は前進する勇気をそぐが、情報の少ない方がずっと危険である。
それでは、年長者、とくに高齢者はどうすれば若者と対等に話せるだろうか。このまま発言の場を失ってしまうのか。ここは発想を転換していくしかない。まず、年長者の方が経験豊富で物を良く知っているという考え方を改めることである。世界中の知識や知恵を情報として集めて分析できるAIを駆使できる若者の方が、知識も経験も圧倒的に豊富と考える。昔の思い出話や自慢話は封印しよう。苦労話はドラマの中だけで十分である。それよりも、積極的にITと仲良くなることである。新しいシステムは危険だ、使い勝手が悪い、など不安や不満があれば、提供者や開発者にどんどんぶつけて改善をうながせばよい。IT利用の最前線に立つくらいの意気込みでいないと若者にどんどん置いて行かれる。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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若者の発言力は大きく進化している
2024.3.3