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問題解決の楽しさに潜む落とし穴


2017.07.07


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 ひどい頭痛で苦しんで、頭痛薬を飲んでそれがすっと消えたとき、「ああ、生きていてよかった」と感激することはないだろうか。後で考えると大げさなのだが、問題が解決するときというのはこのように嬉しいものである。

 50年近く前、父親の勤める会社でアルバイトをしたことがある。試作段階の機械の機能チェックのような仕事で、入力データを与えてその出力結果を記録する、といったものだったと記憶している。その工場では機械に不具合が見つかると、技術者が集まって何が問題なのかを話し合い、解決策を考えて試してみる、という作業が繰り返し行われていた。大変そうだとは思ったが、一方で、不具合が見つかったときの技術者の人たちの何となくウキウキした様子が印象的だった。「問題解決は楽しいこと」と認識した瞬間だった。

 大学で、「情報システムの要求分析」の演習をしている。架空の図書館の状況を文章にして、その中に図書館員、図書館の利用者にとっての不満、課題、要望を散りばめておく。演習では、ここに現れる問題点(不満、課題、要望)を分析し、2階層に抽象化した上で、本質的な問題点を見出す、ということをやってもらう。文章に出て来ない問題点を想像で入れても良い、としている。毎年同じ演習をしているが、いつも気になることがある。本質的な問題点として、「インターネットを使った電子図書館を作る」とか、「バリアフリーの図書館に変える」とか、解決策を書く学生がかなりの割合いることである。第1階層の抽象化の段階でもう解決策を書いている人すらいる。例えば、「○○がない」⇒「○○システムを導入する」、「△△に誤りが多い」⇒「△△を自動化する」といった具合である。毎年、演習の前に資料や口頭で「解決策まで出さないように」と注意するのだが、効果がなかった。今年は、問題分析の例を新たに作って説明し、さらに、演習の問題文の後に「解決策(○○システムなど)を入れないこと」と書いておいた。しかし、10%の学生は、やはり解決策を書いていた。

 目に見えている(文章に現れている、あるいは想像できる)問題点を抽象化して本質的な問題点まで持って行くのは面倒である。それでも、そこから解決策を導き出すことにより、明確な形では出て来ていなかった隠れた問題点をカバーでき、その結果としてより広く、深い解決策が見出せる。目に見える問題点ごとに解決策を出すモグラたたき的なやり方では、後で隠れていた問題点が次々と出て来て、その度に対処しなければならなくなる。さらに、 一旦解決策を思いつくと、そこで思考が止まってしまい、他の問題やその解決策の与える影響まで考えが及ばなくなってしまう。「道具箱に金槌しかない人にとっては全ての問題は釘に見える」というアブラハム・マズローの良く知られた言葉通りである。

 頭痛薬で頭痛が消えても、それはその場限りのものである。やはり本質的な原因究明が必要だろう。私の場合は二日酔いと決まっているのだが、対策が分っても実行に移せないのが悩みである。



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