今年(2024年)の新年は忘れられないだろう。初日の出に手を合わせたその日の夕刻に、能登地震が発生した。復興までどれだけの時間がかかることだろうか、暗澹たる気持ちになる。2日の昼間には私は都心で電車に乗っていたのだが、大きなスーツケースを持った人を多数見かけて「羽田から旅行かな」と羨ましく思っていた。その夜、羽田空港での大きな衝突事故が発生してしまった。正に、明から暗への転換が継続して起こってしまったのだ。 現在の当たり前の生活、つまり、電気、ガス、水道が使えていつものように食事がとれていることが奇跡の様に思えてしまう。いや、生きていること自体が幸運にすら思えてしまう。
高齢になるにつれ、自分の感情を刺激する対象が変化していくようだ。現在の私にとっては、自分よりたとえ1歳でも若い人の死がきつく感じられる。まだまだやりたいことがあったはずなのに私より若い人が亡くなるなんて、と気持ちが沈む。そして、最近亡くなる著名人の中に「私より若い人」が結構増えている。私の年齢が夫の亡くなった歳をとっくに超えているのだから不思議なことではない。著名人は当然ながら一時代を築いた人であり、その映像的な記録が多く残っている。私の中にもその活躍が記憶として十分残っている。正に「明」の部分である。それが死という「暗」に急激に変化することがショック、つまり私の感情を大きく刺激するのだ。
明暗には、常に表裏一体、しかも同時に起こるという特徴もある。これも私にとっては怖さである。最近のちょっとした事例から話してみたい。
1か月ほど前の冬の夕方のことである。1時間前にウォーキングを始めた時は明るかったが、まだ午後5時台なのに、日は落ちて辺りは真っ暗になっていた。それでも帰宅前に近くのスーパーで買い物がしたくてそちらに向かった。スーパーに隣接したマンションの周辺には生垣があって、その中に灯りが点々とついていた。だから不安など何も感じず、買わなければならないものについて考えながら歩いていた。その時、マンションの入り口付近を照らす灯りが目に飛び込んできた。一瞬その周りが見えなくなった。気づいたら、足を生垣の縁にひっかけて見事に倒れていた。幸いにもどこにも痛みはなくすぐに立ち上がり、何事もなかったかのごとくスーパーで買い物をして帰った。
光は時として同時に闇をもたらす。たとえ電灯がついていたとしても逆に足元が見えなくなる恐れがある。灯りの照らす方向によっては道路の凹凸や落ちているものが全く分からなくなることもある。では、夕方以降に安全に歩行するのにはどうすればよいのか。そんな時、夕刻にウォーキングや犬の散歩をしている人たちの多くが懐中電灯で足元を照らしていることに気づいた。街灯に頼らず自衛すべきだったのか。
「明」から「暗」への急激な変化は恐ろしい。でも「暗」から「明」への変化も必ずあるのだ。今はそれを信じるしかない。いつものように食事がとれている現在の当たり前の生活に感謝しながら、まずは生き延びることを考えていきたい。健康に気をつけることは勿論、災害に対する備えも再度見直しておこう。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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明暗は背中合わせ
2024.1.14