70年も前のことになるので記憶が曖昧ではあるが、私は親に抱っこされたり、親に抱きついて甘えたりした経験がない。年の近い弟が二人いたからかもしれないが、弟たちも(赤ちゃんの時はともかくも)両親によく抱きついていたようには見えなかった。親は、いざという時は守ってくれる頼れる存在である一方で、近寄りがたい怖い存在でもあった。
40年前の私の子育てはどうだっただろうか。私も子供たちを抱っこすることは殆ど無かった。歩けるようになるまでは常に紐で背負っていた。歩けるようになったら歩かせた。我が家には車が無かったので、移動は常に電車とバスを使った。一人を背負い一人の手を引いて、私一人で長距離の移動をすることは珍しくなかった。子供たちが普段私に抱きついてくることはあったと思うが、父親である夫に抱きつくことは無かったのではないか。親子は一定の距離を持つべきと教えられていたのかもしれない。
最近、孫たちのみならず小学生以下の子供たちと交流することが多い。小学生の子供たちが両親に抱きつく光景をよく目にする。親も嫌がらずにされるが儘である。この光景を見ると何となく違和感を覚えてしまう。それ以上に見ていて恥ずかしくなる。なぜ最近の親子はこんなにもべたべたしているのだろうか。しかも人前で。私の感覚が古すぎるのか。
子供の放置が話題になっている。子供だけの留守番、子供だけのお使い、さらには子供だけの通学までが放置、さらには虐待につながってしまうと考えている人たちがいることに驚かされる。私などは、現代に子育てしていたら何度も通報されていたことだろう。フルタイムで働いていたのに学童保育は利用せずに子供たちだけで留守番させていたし、もちろん子供たちだけで自由に外で遊ばせていた。様々な危険に遭遇したことも(事後に)聞いていたが、子供だけで何とか解決していた。確かに運がよかったのだろう。一方で、子供たちが自力で危険を回避したり、子供たちなりに問題を解決していったことに誇りも感じている。現代と比べればスキンシップは少なかったかもしれない。しかし、命を懸けて子供たちを守りたいという気持ちは誰にも負けなかったつもりである。
私が小学校2年生か3年生の夏休みのことである。アイスキャンディーを自転車で売りに来るおじさんに子供たちがよく群がっていた。私もアイスキャンディーが食べたかったが、両親は決して許さなかった。黴菌がついていてお腹を壊すからという理由だった。その代わり、時々、駅に近い食堂でアイスクリームを食べさせてもらった。ある暑い日、どうしてもアイスクリームが食べたいと言ったところ、母がお金を握らせてくれた。駅前で食べてきて良いと言うのだ。そこで2歳下の弟と連れだって20分位歩いて駅前まで行った。食堂で席に座って注文すると、店員さんが銀のお皿に乗ったアイスクリームを持ってきてくれた。子供であってもちゃんと客として扱ってくれていることが嬉しく、ことさら美味しく感じたことを今でも覚えている。一人前に扱われることの喜びは成長に結びつくと思う。
子供の安全を確保しながら成長を促すためには、親と子がべったりと張り付くことを求めるより、子供が自立した行動がとれるように周囲が見守る姿勢が必要なのではないか。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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子供だけで行動すること
2023.10.22