食中毒が最も多い季節は秋だそうだ。秋は運動会、遠足、行楽などでお弁当を作って持ち歩く機会が多いので、食中毒防止対策が大切だとテレビのニュースショーで強調していた。その時、「昔は現在ほど衛生的な環境では無かったのに食中毒が話題になることはなかった。それは(子供も含めて)昔の人が丈夫だったからではないか」。という意見を出す人がいた。専門家は、昔も食中毒は多かったが家族内に止まっていて(集団的な食中毒にはならず)ニュースにならなかっただけ、と言っていた。それには私も納得する。
「昔」と一括りで取り上げることはできないだろう。私が小中学校時代(60年〜70年前)と私の子供が小中学校時代(30年〜40年前)では環境も栄養状態も全く違う。勿論、現代はそれらと大きく変わっているだろう。ここでは、私の小中学校時代を取り上げてみたい。
NHKの朝ドラに出てくる主人公が幼少期に体が弱くてしょっちゅう寝込んでいた、というのは定番になっているそうだ。それを私は不思議とは思わない。昔の子供は頻繁に熱を出し、頻繁にお腹をこわしていた。私の実家では「長男には〇〇を食べさせてはならない」という掟が生きていて、私がそれをパクパク食べている横で弟はじっとがまんしていた。それは子供の命を脅かす危険が沢山あったことを物語っている。ただ、私の実家では食中毒になったという記憶が無い。ふと、当時のお弁当について思い出した。
我が家では、運動会、遠足などのお弁当は決まって「海苔巻き」だった。母は早朝から大量のご飯を炊き、酢飯を作って大量の海苔巻きを作った。具は甘辛く煮た干瓢のみだった。おかずは一切なく、海苔巻きだけが弁当箱に大量に詰められていた。酢飯は酢が強く、味も濃かった。それが非常に美味しかった。多分、運動会や遠足で疲れた体に丁度良い味付けだったのだろう。しかし、今にして思えばそれが有効な食中毒予防になっていたのだ。母は高等女学校で家政学を専攻していたのだが、「歩く百科事典」と思うくらい何でも知っていた。様々なこと、特に今でいう理系全般に興味を持ち、勉強していたのだろう。だから、海苔巻きのお弁当は科学的知識に基づいたものと思っている。
翻って、私の子供の小中学校時代に私は何をしただろうか。申し訳ないが食中毒のことなど殆ど気にしていなかった。当時の衛生環境は私が子供の頃より各段に良くなっていたのは確かだが、今にして思えばよく無事でいられたと怖くなる。理由は明らかに「運がよかった」ということになる。子供たちを含めて家族全員が丈夫だった。子供たちは殆ど病気をしなかったのでかかりつけ医もいなかった。誰もインフルエンザのワクチンを打ったことが無いのにインフルエンザに罹った人はいなかった。食中毒もひょっとしたら気づかずに治ってしまっていたのかもしれない。
現代は食中毒だけでなく、アレルギーやウィルスの脅威も増大している。それは、かつては不明だったことが明らかになり、我々に多くの情報、知識が与えられたことによる。脅威に対処することで我々の寿命は延びてきた。科学的な知識で家族を守った母、幸運に助けられた私。幸運だけに頼るのではなく科学的知識を持つことはやはり重要だろう。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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科学と幸運
2023.10.8