最近、朝ドラのセリフが聞き取れないことが増えた。とくに主人公が小さな声で何かをつぶやいたり、妻と話し合ったりするところなどは、何を言っているかわからない。これは高齢者の特徴、すなわち「耳が遠くなった」からなのだろうか。一方で、ニュース、バラエティ、刑事ドラマ、CMなどははっきりと聞きとれるのだ。この違いは何だろう。
そもそも、私たちは全ての音声を聞き取って内容を判断、理解しているのではなく、予測した内容との比較を行っているのではないか。対面で行う通常の会話で特に問題が起きていないのは、話題や会話の流れがあらかじめ分かっていて、話し手の表情などを見た上で、次に出てくる言葉を予測できているからではないか。先ほど挙げたよく聞き取れるテレビ番組の場合は、他のメディアであらかじめ知識があったり、何度か同じような内容を聞いたことがあったり、ということが理解を助けている可能性がある。一方で、朝ドラのセリフは小声であるだけでなく、予測のつかない言葉(それが面白いドラマの条件のひとつ)であることから聞き取れない、理解できないということになるのだと思われる。
聞き違いも結構ある。地下鉄の駅案内で「副都心線」が「ポテトシンライン」と聞こえたことがあった。さらに、参加している地域コミュニティでよくやるゲーム(鬼が言った条件に当てはまる人が競走する)で、鬼になった子が「靴下を履いていない人」と言ったのをなぜか「富士山に登ったことのある人」と聞き違えて、私だけが立ちすくんでいたこともあった。「最近はこんな小さな子まで富士山に登るのか」とびっくりした時点で気づいた。
コロナワクチン接種の会場ではスタッフの人たちはやたらにハイテンションである。多分、高齢者は耳が遠いのでよく聞こえるようにと思ってのことなのだろう。しかし、大声を上げれば良いというものでもない。元来私は音に敏感で、車の走る音、隣家のドアを開ける音、冷蔵庫の音、電子機器のピー音、小学生の甲高い声が気になってしょうがない。スマホのバイブレーションですら夜中に聞こえると目が覚めてしまうほどである。だから、テレビの音量は夫が生きていたときと比べてかなり落としている。これを上げたとしたら、生活の質に問題が出る。どうすればよいのだろうか。思いつくキーワードで検索をした結果、「補聴器」「集音器」「テレビ用のスピーカー」などが出てきた。恥ずかしながら、これらの機能や仕組みの違いについて全く知らなかった。多分、私にとって必要なのは「補聴器」なのだろう。でもまだ何とか対策できそうである。
結局、ほんの少しだがテレビの音量を上げてみた。今のところうるさすぎることはない。セリフも何とか聞き取れている。多分、この先「耳が良くなる」ことはないだろう。いずれは(コストはかかるが)補聴器のお世話になるはずである。眼鏡を自分に合わせて調整しなければならないのと同じように、自分に合った聞こえ方に調整する必要があるはずだ。
今年の猛暑は何とか乗り越えられたが、疲労感は秋になっても残っている。老眼が消えてしまった一方で、耳の聞こえが悪くなった。総合すれば体は下り坂だ。せめて仕事を通じて脳を活性化させ、気力を高めていくようにしなければ。まだまだ人生は続くのだから。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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拡大するだけでは解決しないこと
2023.9.24