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高齢者の十年と子供の十年


2023.9.10


イメージ写真

 十年前の65歳の誕生日、勤めていた企業を定年退職した。勤務先は何度か変わったものの、40年以上に渡る会社員生活がその日で終了した。その後の十年間は、大学の教員として全く違った環境で働き、多くの経験をした。一方で、この十年は人生にとって最も起伏の激しい日々でもあった。中でも大きいのは、夫と父を立て続けに失ったこと、そして2人の孫を得たことだろう。特に孫については、赤ちゃんだったのが小学生になっている。十年後には私を取り巻く世界や私自身がどう変化しているか、楽しみでもあり怖くもある。

 一般的な感覚としては、同じ期間でも幼い子の変化は大きく、成人の変化は小さい。ただ、成人の中でも違いはある。高齢者の変化は幼い子の変化と同じように大きい。コロナ禍に翻弄されたこの4年間で、まさにそれを実感した。実は、高齢者施設に入っている母とは4年間会っていない。2か月ごとに施設から行事の時の写真が入った「たより」が送られてくるが、そこに写る母の姿は明らかに変化している。それは丁度、孫たちが幼児から大人に向かって行くのと逆方向の変化である。

 では、私自身の65歳から75歳までの十年間の変化はどうだったのだろう。さきほど起伏の大きい時期だったと述べたが、その中で得たものは大きかった。新しい仕事の中で多くのことを学び、思索し、創り上げた。もちろん大したレベルではないかもしれないが。さらに、かつて触れたことのなかった新たな分野についても学びを始め、自ら実験的な取り組みもしている。まだここで開示できる段階には至っていないが、いずれは人材育成の新たな方向性を示せるようになりたいと思っている。

 一方で、失った部分もかなりある。それが明確に分かるのが肉体的な衰えである。まず見た目が大きく変化している。数か月前に、仕事の関係で顔写真を提出する必要が生じた。男性の場合は10年前の写真でも大した違いはないように見える人もいるが、私の場合はとても無理である。スマホで自撮りした「無修正の」顔写真を提出した。顔だけではない。ウォーキング中にビルのガラス窓に写りこんだ自分の歩く姿は典型的な高齢者のそれに外ならない。慌てて姿勢を正したところですぐに戻ってしまう。痛いところ、不安なところは確実に増えている。残念ながら肉体的な衰えは戻せない。

 高齢者の十年と子供の十年は変化の激しさという点で似通っているのだが、大きな違いがある。子供の場合は、圧倒的に得るものが多く失うものが少ない。より多くのものを得るためには努力は必要だが、それを後押ししてくれる脳を含めた肉体的な成長がある。逆に、高齢者は圧倒的に失うものが多く得るものは限定的である。それもかなり努力しないとゼロになりかねない。なぜなら脳を含めた肉体的な衰えにより、(私の実感では)若い時の3倍の時間をかけて努力しても結果に結びつかない。しかしここで諦めてはいけない。

 この夏、私の老眼は突然解消してしまった。猛暑のためほぼ一日中パソコンを使いながらスマホで細かい文字を読み、窓の外を眺める生活を続けていたので、毛様体筋や水晶体が柔軟性を増したのかもしれない。まだまだ細かい文字の本が読める。将来への希望が膨らむ。

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