夏休みの終わりに近い日、子供たちと孫たちが集まった。私を除く全員が(どうやら)ゲームの話題で盛り上がっているようだ。私には全く意味が分からないし、そもそも興味が無い。しかたなく孫の科学図鑑をめくってみた。小学生向けとは思えないしっかりした内容である。私自身が今からでも勉強したい内容は沢山あって迷う。何だか若い頃に戻ったようにワクワクする。ゲームの話をしている暇などどこにあるのか。
あなたの今の夢は何か、と問われたら「宇宙旅行」と答える。宇宙飛行士にならなくても一般人が宇宙に行ける日が必ず来るはずと信じている。死ぬまでに絶対に行きたい。ただ、それが「月に降り立つ」「月に滞在する」「火星の周りを回る」「火星に降り立つ」「火星に滞在する」のいずれになるかは分からない。もしかしたら、宇宙空間に行くだけにおわるかもしれない。なぜなら、私があと何年生きられるかが分からず、それまでにどこまで宇宙関連の技術開発が進むかも全く分からないからである。そして、上記の可能性のどれかが実現するとしても、私自身が払う金額の用意ができるか、私自身が宇宙に行ける体力を持っているか、も問題になる。不確定要素があまりに多い。それでも夢は膨らみ続ける。
子供は大きな夢を持っていて、それが年齢を重ねるにつれて減っていくというのは本当だろうか。ある面では事実のように思えるが、必ずしも夢が小さくなる一方ではないという思いもある。つまり、人生の終盤になってまた夢が膨らみ始めることもあるのだ。
そもそも、小学生のうちの夢というのは現実(家庭生活)に影響される。小学生の将来なりたい職業のトップに「会社員」「パティシェ」が並ぶ(第一生命「大人になったらなりたいもの」調査2022の結果より)のがそれを示している。私自身の小学校高学年(65年前)の時の夢は「宇宙ロケットを飛ばす技術者になる」ことだった。父親が日ごろから「日本には宇宙ロケットを飛ばすだけの技術はあるのにその機会がない」と悔しそうに言っていたからである。それ以外にもキューリー夫人のような科学者になってノーベル賞を取る、もあったが、家にあった子供向けの伝記を読んだからである。でも、親子でゲームの話で盛り上がっている状況では、夢が親の職業や美味しいケーキを食べることでも不思議ではない。これから様々なことを経験し学ぶうちに、将来の夢が膨らんでいく可能性はあるはずだ。
若いうちに持った夢が現実を知るうちにしぼんでいくのは事実である。私自身、自分の頭の限界を知るうちに「宇宙ロケット」も「ノーベル賞」も早々に消えた。夢は現実的なものに変化し、それも、自分の能力の限界を知るうちにさらに手に届くレベルまで変化した。最終的には、「この程度の能力しかない自分がここまでがんばれたのだから誉めてあげたい」と思えるレベルまでになった。言ってみれば夢と現実が一致したかのようである。しかし、それは本当だろうか。その先が必ずあるはずだ。私自身はそれを実感している。
高齢になり、組織や社会のくびきから離れた時、また「夢」がむくむくと顔を出し始めた。様々な知識を得たらまだやりたいことがあると分かったのだ。まずは、自分でコントロールできる要素である体力を付けるべくがんばろう。ウォーキング行ってきます。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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夢は現実を超えて膨らむ
2023.9.3