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命令も同調圧力もない生活


2023.8.27


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 私は他人に命令、指示されることが大嫌いである。できるだけ何でも自分自身で決めたい。アドバイスすら敬遠したい。そのため、よほどのことが無い限り他人に相談はしないし、必要もないのに自分がしようとしていることを話題に出すこともしない。余計な口出しをされて判断に迷ってしまう恐れがあるからである。お陰で非常に穏やかな生活を送れている。

 最近、コロナワクチンの6回目接種をしてきた。ワクチン接種の時期は大学が夏休み中の8月しかないのだが、8月になっても熱中症対策の方に意識が向き忘れていた。家族や周囲の人の中でもコロナ感染は話題になってもワクチン接種が話題に上ることは無かった。たまたま自治体のワクチン接種情報を見て思い出し、予約サイトを覗いてみたら知らないクリニックに空きがあった。そのまま予約を入れ接種に至ったわけである。接種した理由は「無料だから」「時間があったから」と言うことになる。それではあまりに酷いので「近所に高齢者が多いから」とでも付け加えようか。7回目の接種をするとしたら理由は同じだ。

 電車に乗っていてマスクをしている人がめっきり少なくなった。外を歩く人は殆どマスクなどしていない。でも、私はウォーキング中でも電車の中でもマスクをしている。顔が日焼けするのを避けるためとマスクを付け外しする行為が嫌いだからである。春になってマスクを外してもよくなった時、大喜びでマスクなしを満喫した。するとある日、自分の鼻と口のまわりが日に焼けてまるで泥棒のようになっているのに気づいた。日焼け対策としてつばの広い帽子や腕カバーを常に付けていたが、口の周りが無防備になっていた。それで冷感素材のマスクを付けるようになったのである。さらに、人前でマスクをずらしたり外したりする行為を不快と感じてもいたので、一度マスクを付けたら家に戻るまでマスクには触れない、外さないのが癖になってしまったのだ。全く私個人の事情である。

 意思決定に迷ったとき、他人に意見を求めるのではなくあえて結論を急がず放っておくことが良いこともある。最近それを実感することがあった。私はもう数年「眼鏡の新調」と「スマホの機種変更」の意思決定をずるずる引き延ばしている。私は遠近両用の眼鏡を使っているのだが、これがいずれも度が合っておらず全く使い物にならない。にもかかわらず新調しないのは、もう一つ持っている「パソコン用の眼鏡」で殆ど不自由しないからである。これは手元(キーボード)からディスプレイまでに特化して調整されていて、ブルーライトがカットされている。何時間使っていても全く目が疲れない。ただ、細かい文字を読むには拡大のための眼鏡を上からかける必要があり不便だった。特に7年以上前に購入した小さなスマホ(iPhone SE)の文字を読むのはつらかった。スマホの機種変更を2,3年前から何度も検討したが、高額であることと大きくて重そうなので二の足を踏んでいた。実はこの夏、両方の問題は一挙に解決してしまった。パソコン用の眼鏡で小さな文字が読めるようになったのだ。現在は、スマホの文字は勿論、1970年代に発行された文庫本でも拡大鏡なしで何時間でも読める。老眼が解消してしまったのか。奇跡としか言えない。

 命令や同調圧力といったストレスなく問題が解決する。高齢者にとって最高の幸せだ。

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