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人生を完食したい


2023.7.2


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 75歳が間近に迫ってきた。過去を振り返って「ああすればよかった」と後悔することは殆ど無いのだが、最近になって気になっていることがある。随分多くの食べ物を残してきたということである。子供の頃は親が作ってくれた食事、学校の給食など、食欲がないからという理由で。大人になってからは外食でのご飯、麺、脂っこいおかずなどを「太りたくない」という理由から。そして多くのパーティ会場で大量の料理が余っているのを「捨てられてしまうのだな」と知りながら。

 過去に私が残した(捨てられたであろう)食事がもしも戻ってきたら、残りの人生の全食事の何倍の量なるだろう。作った人達に本当に失礼なことをした。そして食べ物に困っている人たちにも申し訳ないことをした。せめての罪滅ぼしにと、現在の私は食事を必ず完食することにしている。作る料理は極力少量にし、不足を感じたら追加で都度作るようにしている。もしも余ってしまったら冷凍しておいて後日食べる。例えば頂き物のお菓子を細かく切って食べられる量だけ食べ、あとは冷凍することも行っている。外食や飲み会への参加を殆どしないのもそのためである。自分で量をコントロールできない状況を作りたくないからである。

 私の完食に対するこだわりは、テレビ番組を観ているときにも表れる。並べられた料理にちょっと箸をつけて唾を飛ばしながら大げさに食レポする番組は見たくない。多分殆どが捨てられてしまうのだろうと思うからである。やはり料理は一品だけでよいので完食して「ご馳走様」と言った上で食レポしてほしい。それが作った人への最低限の礼儀ではないか。あきらかに食べきれない料理を並べるのは止めてほしい。様々な料理があるのを紹介するだけであれば画像やサンプルを見せればよい。私が大食い番組、爆食番組が好きなのは、本当に完食していることを確認できるからである。最近、鉄道路線の駅にある麺を食べながら旅する番組を見つけた。完食、ご馳走様、食レポが揃っていて本当に気分が良かった。

 若い時は、多くの物を手に入れたいと願っていた。収入も、やりがいも、称賛も、全部欲しかった。その量の大小を他人と比較して一喜一憂することも多かった。だからこそ、色々なものをつまみ食いして満足を得ようとしていたのではないか。しかし、小学校低学年までの子供はそうではない。ただ楽しいから、純粋に知りたいから、やってみたいから、何かに夢中になる。ゲームの世界にのめりこむまでは、量や質や評価を求めない。私は、子供の純粋な「やってみたい」に戻ろうと思う。世の中には経験したことのない面白いものや、知らないことが沢山ある。しかも、それらについて調べる手段が身近に存在するではないか。

 生活は年金の範囲内でできるようにするので、それ以上の収入は無くて良い。資格を取るなどの目標を定める必要もない。自分なりにそれに満足したら、場合によってはもう興味を失ってしまったら「ご馳走様」を言ってまとめのレポートをする。そして次の「やってみたい」に移る。決して暇を持て余すことなど無い。小さな好きなことをやり尽くす、それが私の人生における完食である。

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