トップページ > コラム

人間の完成形などない


2023.6.11


イメージ写真

 ある人が「赤ちゃんは不完全なように見えているが、いつもそれぞれのレベルで十分に一人前に生きている」と話すのを聞いた。つまり、赤ちゃんと言う状態、子供という状態で、持てる限りの力を使って生きているということである。その話を聞いた時、自分の思考が大きく転換したのを感じた。なぜそれに気づかなかったのだろう。

 私たちは、大人という人間の完成形を思い描き、それに向けて赤ちゃんそして子供を育成していこうとしていたのではないか。その考え方であれば、赤ちゃんも子供も未完成な状態ということになる。それを完成形に持っていくために教育や訓練を行うのが親や教師の務めとなる。それでは人間の完成形とは何なのか。それは誰が決めるのか。もしも完成形が存在して、それに達したらその後はどうなるのか。疑問が次々と湧いてくる。

 同じような話が情報システムの開発の歴史の中でもあった。20世紀までの情報システムの開発は、まずシステムの完成形を描き、完成形に向かってシステムを構築していくのが主流であった。当然ながら完成するまでは未完成なので使うことはできない。完成までに何年もかかり、その間に環境条件やユーザーの要求は変化した。さらに、完成したらその後は朽ちていくのは致し方なかった。しかし、現在のシステム開発は違う。計画の段階から、必要最小限の機能をその時点で使える技術で作成し、それを使いながら柔軟に拡張、変化させていく方法に変わっている。当然、環境の変化、ユーザーの要求の変化に柔軟に対応でき、常に最新の技術も活用できる。従って、できるだけ長く利用できるシステムになる。

 情報システムに完成形がないのと同様に、人間にも完成形などないのではないか。あるのは日々変化していく「状態」だけである。人間は生きていくためにその「状態」をよりよいものとするために努力をしていかなければならない。それは赤ちゃんでも子供でも青年でも壮年でも老人でも同じである。違うのは、赤ちゃんから青年まではある程度自然に良い状態への変化ができるのに対して、壮年以降は意識して努力しないと状態を変えるのが困難であるという点である。

 人間に完成形などない、という考え方は、現在世界中で主流になっている「リスキリング(学び直し)」にもつながる。急速な技術の発展、環境の変化に柔軟に対応して働き続けられるためには、社会人になっても学び続けなければならない。そうしなければいずれは働く場を失う。さらに、最近のAIの発展を見れば気づくのだが、自ら学ばなければAIに嘘を教えられても気づけないし、人間にしかできなかったはずの仕事もAIに奪われる。

 この発想から、まもなく後期高齢者になる私には大きな希望が湧いてきた。高齢者であってもより良い「状態」に変えていけるはずだ。事実、読書、様々な人たちとの交流で最近はかつてないほど新しい知識が身についてきた。以前はできなかったことができるようになっている。総合的に見ればできなくなったことの方が多いかもしれないが、まあ、人間の寿命は120歳を越えられないようなのでしかたあるまい。できる限り意識して新たなことに挑戦することで、時代の変化の波を乗り切っていきたい。そして人生を楽しみたい。

コラム一覧へ