私の手元には役所から届いた新型コロナワクチンの接種券がある。6回目と7回目の分である。6回目接種は5月から8月まで、7回目接種は9月から12月までにするようにと書いてある。高齢者で5回目接種を終えた人に自動的に送られてきているのか。同年代の人たちの間ではすでに話題になっている。打たないと決めている人、どうしようか迷っている人など様々である。私はというと、無料なのだから多分打つことになるだろう。打たないと決めたら、なぜ打たないかを説明できるだけの情報を得なければならない。かなり面倒だ。
マスクの装着、ワクチン接種に限らず、最近は意思決定が個人の判断にゆだねられることが多くなった。さらには、選択肢が多く示されて意思決定の自由度が格段に増しているケースも多い。決められずに悩むことも多くなっていると思われる。そんな中でも、私はあまり迷うことはない。それは、「最も言い訳を考えないで済む道を選ぶ」という判断基準があるからである。単に周りに合わせるということではない。言い訳を考えるということは自分の意思にそぐわない何かが潜んでいることなのだ。隠れている意思を尊重するのである。
私が若かった昭和の時代には様々な点で制約が多かった。特に女性が生きていく上では選択の自由度はかなり低かった。言い換えれば、自分の意思を尊重することにはかなりの覚悟が必要だった。「女性はこうあるべき」という世の中の常識に従うか、それに抵抗して世の中を敵に回すか、のどちらかを選ぶという非常に単純な話だった。私は後者を選んだのだが、世界中を敵に回しても仕事を続けると決めたら自分がものすごく強くなった気がした。全ての批判は自分の責任で引き受けよう、と腹をくくったのだ。その結果、やるだけのことはやったと思えるので、現在の私には何の後悔もないし結果に対する不満もない。結果についての全ての責任は自分にあると言えるからである。
昭和の時代なら、迷うなら世間の常識に合わせればよかった。(それでうまくいかなければ世間のせいにすれば良かった。)全ての分野においてかなりの制約が取り払われ、様々な場面で選択肢が増えている現代においては、その結果については自己責任ということになる。そのために、人々は「最適解」が得られるように選択をしようとする。それが不可能に近いのは明らかである。なぜなら解を求めるためには多くのパラメータが必要で、その値を求めるのは無理な作業だからである。
このような現代社会をストレスなく生きるにはどうしたらよいだろうか。私は「最適解はない」と考えることにしている。最もやりたいこと、大切なことを優先して後は目をつぶる。言い換えれば、自分の心に潜む意思に従う。自分の意思が良く分からないときに頼るのが「最も言い訳を考えないで済む道」である。いずれにしても結果は自己責任なので、あれこれ選択したことの言い訳を考えるだけ無駄である。
冒頭のワクチン接種だが、6回目は7月下旬、7回目は12月下旬と決めている。その時点で接種予約が取りにくかったら止める。私よりも接種を必要としている人たちに機会を提供したいからである。これは本心である。決して言い訳ではない。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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選択の自由の時代を生きる
2023.5.14